2020年9月 振り返り

9月が終わり、2020年もだいぶ終わりに近づいている。


生活

やっと気温が下がってきて、エアコンをつけなくても過ごせるようになった。涼しくなったのでウォーキング・ジョギングを再開してみた。ジムに行っていた頃のように、何となくpodcastやラジオクラウドを聞きながら。
久しぶりに走ったから翌日筋肉痛になってしまった。
ウォーキングやジョギングを「カロリーを消費するための運動」とだけ捉えると、舗装が整ったまっすぐな道をただ往復するのが最適解になるけど、気分転換と捉えるともっと色んな道を散策した方が良さそうだ。ほんの少しでも頭に負荷がかからないと、停滞した思考を頭から追い出せない。

今はとにかく気分転換したい。やっぱり週末ジムに行けなくなったことが心身に影響しているのだろうか。
テレワーク化で、業務では直接関わっていない他の部署の人達と雑談する機会がかなり減っているのもある。一緒にお昼ご飯を食べることもほとんど無くなってしまった。
昔から気分転換が下手で、やたらと寝ようとしてしまう。寝ている間は思考が止まって気分も何も無くなるから。

気分転換に食事のメニューでも変えてみた方が良いだろうか。
最近、以前の食事のしかたを忘れ気味で変なルーチンになっている。なぜか順番に片付けていき、最後に味噌汁に手をつけている。
準備に手間のかからない食事を選んでしまうので、だんだんジャンクな食生活が固定化している。

身体のリズム

出社もテレワークもしていて生活が不規則。朝の通勤ラッシュがかなり戻ってきていて、押し込まないと電車に乗れなくなり始めている。
在宅時は十分な睡眠が取れている分、出社する日は相対的にかなり寝不足に感じる。
出社する際は物理的な用事をなるべくその日に詰め込んでしまうので、肉体的な疲労度も高い。出社した日は疲れてやたら早く寝てしまう。無理ができない。
最近は睡眠不足がダイレクトに疲労感に返ってくるようになった。それにしてもいったい何に疲れているんだろう。自律神経の乱れだろうか。生活様式の変化の影響が着実に身体に溜まってきている。
以前は仕事から帰宅後にも勉強とか色々やっていたのに、今となっては信じられない。

在宅、出社がゴチャゴチャで、仕事中の休憩のペースが分からなくなってしまった。
在宅時の癖でトイレに行く頻度が増した身体のリズムになっていて、会社でのトイレ(大)はちょっと緊張する。
テレワークの日は、お昼休憩でも仕事との距離をちゃんと取りたくて横になることが多くなった。頻繁に横にならないと気持ちが続かない。
テレワークを始めたばかりの頃のペースを少し取り戻したい気もする。最初はペースが分からずやり過ぎたりしていたが、今は逆にだらけ過ぎかもしれない。

そういえば、国勢調査にオンライン回答した。とても使いやすいWebフォームでビックリした。


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仕事

今の部署に異動してから1年経った。
1年前、部署異動直前の頃は何を考えていたのか、ちょっと読み返してみた↓



1年前に「対話の意思を感じない相手」と書いていたのは、今の上司と面談して感じたことだった。
その人の部下になって1年。嫌いな要素をかなり詳しく言語化できるようになってしまった(笑)

仕事のストレス

オイラは任されたことは全力でやる派だけど、だからこそ仕事からの影響を強く受けてしまう。仕事で(というか上司に)イライラすることが多い1年だった。
上司の無礼な態度に嫌気がさしているのもあるが、この部署での仕事のストレスは「貧しい働き方」にあると感じるようになった。

貧しい働き方

「貧しい働き方」と感じるのは、末端の雑務をかき集めて個々の業務に一貫性が無くなる状態のこと。
ある種のKPIハックが背景にあり、本来の目的と関係の薄い範囲にまで手を広げ、末端の数字をかき集めて目標数字を達成しようとする。業務分解と測り方の設計がおざなりで、課題設定が伴わない。
不安に突き動かされて手を広げるのは、根本的に貧しい感覚かも。不安だからやめられない。大事なことに集中できない。
一貫性の無い雑務の洪水の中ではミスも増える。ここでもコンテキストスイッチの負荷が軽視されている。ミス無くこなせる量・スピードを調節する様子もない。
マネジメント、上長の存在は、各実担当者から「ボトルネック」と思われるようになったらもう存在意義が無い。間に入ることで事が円滑に進むと実感してもらわないとダメだ。
上司がKPIハックに走り始めたら距離を取った方が良い。一度「上司」という立場になった人間は圧倒的に有利で、簡単に他人のせいにできるようになる。

何でこんな奴がマネージャーを気取っているのだろう、という苛立ち。
1度嫌いになったことを覆すのは難しい。内容に関わらず、上司から何か返事が来るだけでもイラッとくるから不思議。上司を見て仕事するのが嫌だ。
イラついた気持ちを落ち着けるのに時間を使うようになった。
テレワーク中も「何で家にいるのにこいつに従わなきゃいかんのか」という気分になってくる。最近は、その日にやるはずだったことが何も終わっていなくても構わず退勤するようになってしまった。

うすぼんやりした言葉しか発せないおっさんを尊重しなければならない虚しさ。その言葉じゃ遠くまで届かない。
やればできることをギャアギャアと騒ぎ立てて、まるで困難なことのように。
誰がやっても同じやり方・結果になる仕事ってあんまり興味が湧かない。誰がやっても結果は同じなのに「適性がある」とか言われるのはだいぶ心外。

集中して働きたい

今の部署に移ってから、集中して仕事に取り組める機会が減った。「集中できる環境」って贅沢なことなのだろうか?
たまに集中する時間が取れると、色んなことが簡単にできるようになるから不思議。マルチタスクは大の苦手。

人によっては、集中力が無いんじゃなくて、集中する習慣が無い場合も多いのかもしれない。「集中」とは「1人の時間の過ごし方」という側面もある。
これは習慣から身に付く要素かもしれない。集中できる環境、つまり安心できる環境で育っていないと、常に外からの刺激にリソースを割く癖がついてしまう。
外部からの刺激に即座に反応できるフットワークの軽さと、仕事の確実さには反比例の関係にありそうだ。
反面教師的に「慌てない」ことを意識するようになった。「マネージャーが慌てる」とはつまり「急かす」ことにしかならない。

以前から、電話である程度話した後に「先程電話しました通り」という流れでメールが送られてくるケースはあったが、テレワークするようになってからはそのやり方に違和感を抱くようになった。
あくまで「同期コミュニケーション」がメインでメール文面は補助として扱われるので、メール文面だけでは読み取れない情報が多い。
この「文面だけでは情報を伝えられない」という点が、テレワークの阻害要因と感じるようになった。メンバーシップ型雇用の特長と言える要素かもしれない。
「文字で仕事ができない職場」の根底には、やはり「1人の時間の過ごし方」の習慣があるように思う。1人で読めない、1人で書けないという問題。
接点を疎にしてなるべく非同期なコミュニケーションを心がけようとしても、同期を求められて時間を溶かしてしまう。これがチームプレーだと言うのならオイラは向いていない。時間同期の依存関係が苦手。
時間拘束されてしまう割に、労働時間の調整には個人の自助努力を要求される閉塞感。

依存関係

依存関係が整理されていれば、時間同期の頻度もある程度抑えられてさほど気にならないのだろうけど、今の部署は依存関係の設計にかなり無頓着。ゾロゾロ集まって機動力が削がれていく。色んな人が関わることで実態がぼやけていく。自分も伝言ゲームに加担している。
昔は他人への声がけに躊躇がないことを「コミュニケーション能力」と思っていたが、いい加減な組織・業務設計の下での部分最適であると気づいた。「人に話しかけることに何ら抵抗が無い人」は、昨今のテレワーク下では他人に踏み込み過ぎる傾向にある。間を埋めるための会話と情報伝達のための会話がごっちゃになってる人は、混乱を波及させて集団の生産性を下げる。話題ごとに思考を分けたいのにごちゃ混ぜにされてやりづらい。

依存関係が整理されていないと、「待ち」も多く発生する。まともに個人タスクが無いまま待ちの状態でいると、働いてるのかなんなのかよく分からなくなる。
アウトプットがハッキリしない時のテレワークはダラダラしがちだ。

掛け持ちの負荷

最近になってやっと気づいたが、複数の仕事を掛け持ちするのが大変なんじゃなくて、裁量が無い仕事を複数抱えるのが辛いのだ。
主導権を渡してくれる上司の方がストレスが少ない。コンテキストスイッチが起こりにくい段取りを自分で組めるし、仕事を自分でコントロールできれば傍でも色々できる。
副業」というのも、裁量を持って本業に取り組めている人だからできることのように感じる。
ほぼ同時に複数のタスクが入ってきてしまうと、どれからやろうかウダウダ悩んでいるうちに時間が過ぎてしまう。(これは自分の問題か?)


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リモート会議

会議は出社してる時の方が安心できる。操作ミスでカメラがオンになっても変なものが映り込む心配は無いし、生活音を気にする必要もない。
狭い観測範囲だが、一方的に話したがる人の方がリモート会議でビデオをオンにしたがるし、相手の顔を見たがる傾向にある。

評価軸

世の実務化と呼ばれる人達は、暗に「短期評価」の世界で生きているので、無意識に「長期評価」の分野も短期評価で測ろうとしてしまう。
初期段階で長期評価を見据えたジャッジができるとしたら「ユニーク性」ぐらいだろうか。相対的な指標で優れているという観点ではなく、「他と被っていない」という独自性。「新しい分野を作っているか?」という視点。

転職活動

先月、エージェントを通じていくつか応募してみて、面接まで進んだものもある。大それた志望動機があるわけでもないけど、「もっと詳しく話を聞きたい」というモチベーションで応募してみている。付け焼き刃な志望動機を語るよりも、疑問を正直に伝える方が性に合っている。
昨年うだうだと自己分析していた頃に比べればだいぶ前進した。コロナ禍の閉塞感が行動を促すのだろうか。

過去同じ部署から転職して行った同僚がそうだったように、転職活動中は仕事のアウトプットが鈍る。面接のことが気になって仕事が手につかなくなった。些細なことだけど、気持ちが大きく揺さぶられる。結果の連絡が遅いとモヤモヤする。
仕事のアウトプットの評価は自分自身と切り離して捉えられるけど、面接の評価は自分への評価としか考えられないのでダメージがデカい。
こんなの気持ちが持たないな。複数並行して注意を分散させた方が精神は落ち着くのかもな。

このご時世なので面接は全てリモート。自宅からカンペを見ながら面接に臨めるのは新しい時代を感じる。面接官も自宅からつないでいて、たまにお子さんが写り込んだりしていた。
リモート会議は何分前に入れば良いのか未だにちょっと迷う。5分前は早過ぎる。
身嗜みについても、以前とはだいぶ基準が違ってきているかもしれない。写り込む自宅の部屋も含めて。
一応それなりの服装で挑んでも、面接官の方が飾り気が無く映り込む背景にも無頓着だったり。気負ってバーチャル背景まで使った自分が逆に恥ずかしくなった。

面接してみて感じたけど、10年弱の仕事経験を経て初対面での人当たりはそれなりに良くなったかも。新卒就活の頃のようなギクシャクした感じにはなっていない。
自己アピールがあまり得意ではないので、ただ聞かれたことに答えただけだったけど、その方が落ち着いて相手の話を聞くことができる。相手が緊張気味だとこちらもちょっと緊張してしまうな。
最終的には相手に選んでもらえるかどうかなので、自分の意思なんて無力。「適性」や「ご縁」というやつ。自分が憧れているコミュニティに承認してもらえるわけではない。

ハイクラス層

多少の高望みもあって、面接では普段の仕事で接する機会の無いレベルの人達と会話できた。
自分とさほど歳の変わらない人が、立派なキャリアを積んですでに責任のある立場に着いて家庭も持っているのを見ると少し堪える。
オイラができないことを全てこなした上で、人生のステージも登っている。本人が能動的に発信しなくても、存在・活動履歴が公に記録される人達。

聞いてみるとかなりガチな仕事内容で、今のオイラのスキル不足を実感してビビったりもした。求められる知性に自分が追いつけるか問題。
会社員になりたての頃はガチな仕事に着きたかったはずなのに、いつのまにか諦めて上部だけを繕う仕事をダラダラとこなす日々を受け入れていた。その状況にもう気持ち的にだいぶ折り合いもつき始めていた。
もともと着きたかった仕事に求められるスキルを習得できていない、できる環境にいない自分。

高尚なビジョンに憧れつつも、オイラは即物的な人間なので産業との結びつきがハッキリしないと成果を実感できない。
会社員になってからは「応用」が自分の仕事だと思っていたけど、要するに具体的にならないとその価値を認識できないのだ。考え方が貧しい。

仕事・会社を比べる

会社の全体像から仕事を捉えるか、募集部署ピンポイントで仕事を捉えるかでだいぶ印象が変わる。
自分が直接関わる範囲が自分に適していればそれで十分な気もするし、部署の仕事が自分の希望と多少ズレていても会社全体が自分の志向に近ければ平気にも思える。自分が期待するチャンスが多い方が良いか?

面接して詳しい話を聞いてみると、結構気持ちを揺さぶられる。それぞれへの関心が高まって悩んでしまう。
気持ちが極端で、ちょっと面談しただけなのにもう会社を辞めた気になり始めている。気持ちもマルチタスクが苦手。どんどん今の職場から気持ちが離れている。
仕事をリセットしたいというか、少し気持ちを整理する充電期間が欲しい。

これまでの自分のキャリア

転職活動をしていると、やっぱり新卒の頃の就活や会社員になりたての頃を思い出す。

面接での会話について、昔は暗に「打てば響く」を目指していたような気がする。面接の場でもハッキリと分かるような優秀さを演出したかった。
苦手な話題には鈍感なふりをしてやり過ごそうとして自分を苦しめたこともある。突き刺さっているのに痛くないふりをして突進しようとしていた。
今は一周回って、正直が1番だと思っている。変に繕わず、きちんと受け止めて返せば良いのだ。

学生の頃に比べれば、宿題が無い分会社員の方が可処分時間は多いような気がする。特に、高校生の頃は全然時間がなかったな。
結果論ではあるけど、キャリアの早い段階で人に頼む仕事も経験できたのはなんだかんだでプラスだった。頼み方を工夫するきっかけになった。
会社員3,4年目ぐらいまでは、仕事とはフルコミットするものだと思っていた。周りを見て、だんだんそうじゃないことに気づき始めた。

趣味

9月はあまり気力がわかずにいっぱい寝ていた気がする。ダラダラと動画を視聴したり。

英語学習が全然できていない。9月もネイティブキャンプのレッスンを一度も受けず。。。
いったん退会した方が良いかな。

チケットを購入したSIGGRAPH 2020のオンデマンドコンテンツが視聴できるのは10月27日までだが、まだ全然見れていない。何のためにチケットを買ったのか。。。



勉強記事も全然書いてない。

GeForce RTX 3080のグラフィックスボードを注文したけど、メーカー在庫が無くいつ手に入るか分からない。
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9月に新製品が出るだろうと予想して、デスクトップPCを新調してもグラフィックスボードだけ買わずにいた。そして、ついにNVIDIA Geforceシリーズの新製品が発表された。GEFORCE RTX 30 シリーズサイズが...

最近の気づき

ここ最近の気づきがまとまらないので、とりあえず雑多に書き留めておく。

時間がある時に立ち止まろうとせず、駆け抜けようとしてしまう人は苦手だ。視野を広げられるチャンスを棒に振っている。
視界のノイズは減らしたいけど、先を見通せるようにしておきたい。

オイラは「誰かの役に立ちたい」と心の底から思ったことが無いと気づいた。その場にいる時は、手持ち無沙汰にならないよう貢献しようとすることはあるものの、根本的にはそこにいなくても良いんじゃないかと思っている。

「全てが終わるまで我慢」っていうのが向いていない。終わってなくても他のものをつまみ食いしていたい。
少しずつのつまみ食いも、時間が経てばそれなりの血肉となっているもの。本当はがっつり時間を取りたいけど、それは叶わないから悪足掻きのようにちびちびと触れておく。
つまみ食いの衝動を受け止めるだけの余力が無いとダメだよね。どれも数あるつまみ食いの1つに過ぎない。

自分が何者なのか、もう固定化しなきゃいけない年齢だろうか。ライフステージが変わった経験が無く、フニャフニャした生き方をしてる。
自立できない大人未満だけど、もう若者扱いはしてもらえない。年齢によって期待されることがある。今のオイラの年齢だと、戦力として期待される。
職場の人間関係で言うと、どんどん高齢層との関わりに足を突っ込んでいる。個々人の仕事ぶりと世代によるもののギャップがハッキリしてくるかな。

作ることから遠ざかりたくない。強みになるかもしれない要素は、恥ずかしい部分でもある。
挑戦するには時間と手間がかかる。自分に合った階段を登りたい。

絡まった気持ちを解きほぐすのに時間がかかる。費やした時間と労力に対して、自分の中に大したものが積み上がらない。

成果は関わった人達の力の掛け算なので、どれかが1未満だと結果も悪くなる。見る人が見ると因数分解してそれぞれの変数が分かるかも。

振り回されるよりは振り回す側でいた方が気持ちは楽。

受験勉強のことを「努力すれば報われる」と言う人を多く見かけるけど、僕からしてみれば仕事の方が遥かに簡単だ。

何百、何千、何万人も社員がいる大企業に入れてもらうのが難しいって、よく考えたら不思議な話だ。

需要がはっきりしている分野は産業として完成されていて、すでに相場が存在し、価格で比較できる状態になっている。
だが、競争の激しい厳しい世界かというと、実は逆のように思う。需要が大きいと習熟度に関係なく誰でもスタート地点に立てるから、倍率が高いように見える。


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