2023年の振り返りを書き始めたら長くなったので、仕事についての振り返りは記事を分けることにした。
6月の振り返り記事を最後に仕事について何も書かなくなっていたが、仕事に関する日々の雑記メモは続けていたのでモヤモヤは沢山溜まっているのだ。
過去の経験のおかげで、今仕事で自分がどんな状況に置かれているのか構造的に捉えられるようになったと実感した1年。こういうのはメタ認知と呼ぶのだろうか。
仕事
8月に大腸内視鏡検査を受けて大腸ポリープを切除したのを境に、身体の負担を減らすため残業しないようにしたら年収が昨年よりも結構減った。
今の会社に転職して収入が増えたと思っていたけど、単に残業代の分で増えて感じていただけかもしれない。今年は夏のボーナスが減ったのもあるが。
年齢と共に体力が衰えていくのに、残業時間で稼ぐスタイルは無理がある。健康面の不安は年々増すばかり。
賃金の面で大したメリットが感じられなくなり、いよいよ何で今の職場に居続けているのか分からなくなった。
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仕事の評価
仕事で頑張れば評価が上がって収入も上がるかというと、それはあまり期待できない。そもそも、直属の上長が仕事の成果をまともに測れていないとハッキリ分かってしまった。自分が頑張ろうがサボろうが評価に影響しない。
それに気づいたせいもあり、今年は仕事にまるで身が入らなくなった。ダラダラと過ごすようになったが、もちろんそれで仕事上の評価が下がったりはしていない。
職場にはオイラのアウトプットをちゃんと測れる同僚が1人いるものの、その人は別の業務で忙しくオイラのアウトプットを見る余裕なんてない状態。上長はその同僚のアウトプットもちゃんと測れず、同僚は過小評価されていてかなり苦労しているように見える。
直属の上長からの低評価はレッテルとなり、コミュニティ内での評価にすり替わっていく。期待されず軽んじられ、不利な状況へ追い込まれてどんどん成果を上げにくくなっていく。低評価のレッテルが巡り巡ってその人を実際に無能化してしまう。
新卒の頃の経験
少し思い出話をすると、実は似た状況を新卒の頃に経験している。その時は、上司が仕事を測れていないと気づくのにかなり時間がかかった。
当時は仕事の負荷が増え続ける一方で労働時間も長く、それでも裁量労働制なので収入は上がらず、上司からの評価も上がらなかった。まだ「仕事の測り方」を理解できていなかったオイラは、上司からの評価を手掛かりに働くしかなかった。
仕事量や労働時間について上司に相談しても、上司は口癖のように「私が若い頃は毎日徹夜だった」と言うだけだった。
最初の頃は低評価を真面目に受け止めて長時間労働を続けていたが、仕事のサイクルを何回かこなすうちに上司からの評価と実態のズレが見えるようになった。
OJTを続けるうちに、仕事を前に進めるための獣道のようなものが見えるようになった。仕事で成果を上げる同僚(先輩)の多くが、この上司と関わるのを避けていた。直属の上司部下の関係であっても。
この上司のキャリアはオイラと違う職種で、オイラの仕事の負荷や適正量を測れず、そのプロセスや成果も測れず、「的外れなことばかり言う」と敬遠されていた。
上司からの評価やアドバイスを「動物の鳴き声」ぐらいに思うようになってからの方が仕事をスムーズにこなせるようになった。それに気づいた頃には自分がボロボロになっていたが。
この経験以来、自分の仕事は自分で測って自分でブレーキも踏めるようになった。評価尺度を他人に委ねて苦しむのはやめた。
これが自分なりの自立した働き方。オイラが目指す「優秀な人」とは自分の仕事を自分で測れる人。「便利な人」ではない。
そして現在のオイラの上司も、オイラとは違う職種上がり。オイラの仕事を測れなくて当然ではあるが、そのコミュニケーションギャップに無自覚なので権力勾配が理不尽に働く。仕事を測れることよりも、命令に従う便利な人が役職に就く力学。
間接指標に頼る人達
そもそも、仕事や人の能力を直接測れる人の方が稀で、大多数の人は間接指標に頼っているということなのかもしれない。レスポンスの速さや熱意・やる気、マナーなんてものは、アウトプットを直接測れない場合に代用される間接指標に過ぎない。
これら間接指標は、採用時(特に面接)や初顔合わせの段階で相手が信頼に足るか推し量る手がかりにはなるが、実際に一緒に働いて仕事のサイクルを1,2回こなしてみれば直接測る材料は揃う。だが、間接指標を重視する人達の多くは、初対面で評価のピークを迎える。アウトプットを直接測れないから。
仕事のアウトプットを測れないので成長も望めない。仕事を客観的に評価できない分、虚勢ばかり肥大化している人をよく見かける。会社員を10年以上やってみて、仕事を測れず雰囲気で働いている人が案外多いと知った。
ふろむだ氏が「錯覚資産」と呼んでいるもの。
大量の情報が駆け巡り1つ1つの評価にあまり時間を割けない時代、間接指標の影響力はむしろ増しているような気がする。
上司と部下が互いに仕事を直接測れない者同士だと、誰も客観的な視点を持てず権力勾配が勝ってパワハラに発展しやすい。
評価指標をズラして逃げ続ける人
逆に、多くの人が間接指標に頼っていることを利用して上手く立ち回る人にも遭遇した。というか、今の職場の2つ上の上長はその傾向が強い。
自分達の仕事をまともに測れない代わりに、評価者にも測れない尺度を持ち出して煙に巻き、その分野では高く評価されていると吹聴する。身近に測れる人がいない尺度を掲げておけば、セカンドオピニオンにアクセスされる心配もない。
この手の人は、その分野のエキスパートとつながるよりも、無知な人の傍に居たがる。自分が高く評価される場を選んでいるとも言える。
要するに詐欺師の手口に近いのだが、成長を求めずその場しのぎで居場所を確保するには効率の良い方法なのかもしれない。嘘がバレる頃にはまた別の分野の別の尺度を掲げる。
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自分の仕事選びの欠点
これまでのキャリアで「仕事を測れない上司」に遭遇しやすかったのは、オイラの仕事選びにも原因があると最近ようやく気づいた。オイラは、複数の専門分野を横断していたり、まだ歴史の浅い新しいジャンルの仕事を選びがちで、評価指標やコミュニケーションのギャップが発生しやすい職場に遭遇しやすいのだ。
オイラが好むタイプの仕事を長く経験しているマネジメント層は当然少ない。別分野上がりだったり、他で使いものにならなくて消去法で流れ着いた人が管理職になることがほとんどだ。その仕事のマネジメント力で競争に晒されてきた人はおらず、その手腕を疑われることもなく洗練もされない。(結果として部下が離れていくので、人望は疑われたりするけど)
職種や専門分野を横断したチームワーク
オイラが仕事上のコミュニケーションについてアレコレと悩みがちなのも、この「仕事選び」に起因しているのだろう。理解できない、伝わらない経験が多い。
今年特に感じたのは、職種や専門分野を横断したチームワークやコミュニケーションを成立させるコツのようなもの。
チームのアウトプットの質
チームワークのアウトプットの質は、各自の「得意な専門分野の深さ」よりも、「分業の境目をどうやって埋めるか」の影響が大きい。各分野の専門性の高い人員ばかり集めても、それらを束ねるコミュニケーションを軽視するとアウトプットの質は上がらず、良くてチグハグ、最悪アウトプットゼロになる。
異なる職種や専門分野を横断したチーム編成では、分担の境目でのコミュニケーションコストが高くなる。メンバーのバックグラウンドが違えば、暗黙の了解で済む共通認識は減り、目標や尺度を明示的に伝える必要がある。専門家にとっては初歩的な知識ですら、改めて説明する必要も出てくる。
ただ経験上、職種や専門分野が異なっていても、メンバーが「同世代」というだけで上手く回るケースはある。世代による共通認識が多いからだろう。スムーズに伝わる「例え話」を挙げ易い。
専門性の発揮
専門家個人の「能力を出し切れるか」の観点では、メンバーの同質性の高いチーム編成の方が専門性の深さを発揮しやすい。分野を横断せず、1つの専門領域で編成した「いつも通り」な要素の割合が高いチームほど「深さ」を追求できる。
専門性を追求する指向の強い人が分野横断型のチームに加わっても、自分の得意領域を深めるばかりで分業の境目は埋まらない。専門性を極めた人ほどこの傾向は強い。専門スキルを求められて参加しているのだから当然ではある。
オイラは専門性を高めたい欲求がありつつも、結果としてそれ以外のことに労力を注ぎがちだ。
オイラは目的指向が強いせいか、結果として専門性の発揮よりも分業の境目に意識が向きがち。この性格のおかげで自分の見識を広げて来れた。これは1人で何か作ってきた経験が活きているとも言える。目標達成に向けて欠けているものが見えるのだ。
チームワーク経験があっても、特にフォロワー経験だけで個人ワーク経験に乏しい人はこの視点がとても薄い。この手の人を便宜上「お客様タイプ」と呼ぶが、この「お客様タイプ」は自分の役割を勝手に狭めて他人のせいにしたりする。他力本願で他責指向。
コミュニケーションコスト
分野横断型のチームワークでは、チーム編成の段階で「知識の重なり」に着目すべきだ。重なりが少なければ、コミュニケーションコストを重く見なければならない。コミュニケーションにかかる時間・労力を多めに見積もる必要がある。
だが、コミュニケーションコストを測れる人は少なく、特に「人集め」を得意とする人はこのコストを軽視する傾向にはある。そこに躊躇がないから人を沢山集められるとも言える。人が多いほど結果として知識の重なりが生まれることも否定しないが、人が増えるほど抽象的なコミュニケーションは難しくなり、具体的で定型的な「いつも通り」に収束させるしかなくなる。
仕事においてのコミュニケーションとは、主に情報伝達のこと。(もちろん人間関係とかもあるんだけど)
情報を正しく伝えるために、色々な伝え方を工夫する。揶揄されがちな「パワポ資料作成」も1つの伝え方。労力と伝わりやすさで考えれば、パワポ資料は割とコストパフォーマンスの高い伝え方だと思う。
コミュニケーションコストの被害者
分野横断型のチーム編成では結局、リーダーや管理職などの権力者の得意分野の共通認識を中心にコミュニケーションが進む。この権力者の得意分野の共通認識は、そのまま意思決定で使われる言語となる。
ここで、この権力者が「お客様タイプ」だと、中心から遠い分野のメンバーほど不利な立場に追い込まれやすい。コミュニケーションの中心から遠い分野の、意思決定に関与できない人が仕事の根幹を担っているケースでは、一方的にミスの責任を追及され、手柄は奪われる。
IT系で精神を病む人が多いのはこの構造から来るのだと思う。ソフトウェアの受託開発で意思決定する権力者は文字通り「お客様」だ。
チームワーク仕事の質はコミュニケーションの質で決まるもの。強いて個人の責任を問うとすれば、仕事を仕切る権力者の見識が問われる。見識の狭さはアウトプットの質を大きく下げる。
AIチャットの活用
今年は個人的にChatGPTに課金して遊び始めたが、OpenAIだけでなくMicrosoftやGoogleなど各社がこぞってAIチャットサービスをリリースしたので、無料でもかなりのことが試せるようになった。
以前に比べると検索サービスで欲しい情報を得るのが難しくなってきた体感はあるので、普段の仕事で検索する代わりにAIに質問してみたりもした。
検索と違い、欲しい情報を引き出すためには長く対話して質問意図をすり合わせる必要があり、人と対話するような面倒臭さを感じた。論点がぼやけた話を受け止めて対話しながら精緻化してくれる点ではカウンセラーに近いかもしれない。
プログラミング
プログラミングでは、自分があまり詳しくない言語やライブラリのサンプルコードをAIに書いてもらうのが割と有用だった。使い方の大まかな流れが解れば、細かい部分はドキュメントを読んで自分で対応できる。
しかし、マニアック・マイナージャンルの知識については誤答(というかデタラメ)が返ってきてしまうので、知識を平均点に引き上げてくれる助けにはなるが、専門性を尖らせていくような学びには不向きに感じた。
文章作成
仕事上でAIチャットを1番活かせたと感じたのは、上司に提出する文章の推敲。
大まかに伝えたい事を書くと、それを伝える際の注意点(論点)を指摘してくれるし、角の立たない柔らかい表現の例文を提示してくれたので、それを参考に文章を書き上げた。完成までずっと伴走してくれる先生みたいな存在。
AIが書いた文章をそのままコピペして対応できたケースは無いものの、思考(特に配慮)の補助としては利用できた。
まだ提供会社ごとのAIチャットの特性やサービス品質の違いが分かるほど使い込んではいないものの、検索サービスからのパラダイムシフトには備えておきたい。
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