言葉が支配する世界

ここ最近思うんだけど、自分はつくづく「言葉」が支配する世界で暮らしているんだなぁ、と。

メディアの中の言葉

古くからある新聞や書籍のように、活字で「言葉」を伝達するメディアしか存在しないわけではなく、今は音や映像を即座に伝達できる時代だ。それなのに、未だに「言葉」の影響力がとても強いのは何故だろうか。
映像メディアであるはずのテレビでも、話芸を中心としたバラエティ番組が多く作られ、発言をテロップで強調するのがお決まりの演出となっている。映画の宣伝でもキャッチコピー(言葉)の力は絶大だ。

マンションの広告では「マンションポエム」なんて呼ばれる独特のキャッチコピーがお馴染み。ポエムが付いてなければマンションが売れないのか定かではないが、とにかく広く世に知らしめるには「言葉」が不可欠なようだ。マンションの外観、バルコニーから見える風景、部屋の間取り図といったビジュアルだけではなく、わざわざ「言葉」を添えている。

この辺、日本は義務教育で識字率が高いというのも関係しているのだろうか。


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言葉でつながれた世界

インターネットなんて、まさに言葉でつながれた世界そのものだ。Googleなどの検索エンジンのおかげで、手軽に世界と繋がれるようになったかに見えて、実際に世界を繋いでいるのは「言葉」だ。「言葉」を持たない者は検索エンジンの恩恵を受けられない。欲求を「言葉」で表せる者だけがその恩恵を受けている。

最近のGoogle検索は、キーワードだけでなく、画像など言葉以外の検索クエリも使えるようになってきたけど、画像をクエリにしてたどり着ける範囲はまだ狭く、言葉の代替手段にはならない。(デザインのパクリ元を探すのは楽になりましたが)

動画サイト内の検索・関連動画の表示も、動画そのものの内容というより、タグとして設定された言葉がその結果を左右している。ネット上の情報を繋いでいるのは言葉なのだ。
Webメディアがテキスト情報によるSEOに力を注ぐのも頷ける。「バズワード」という概念があるように、流行を作るのは言葉だ。言葉だからこそ、より多くの人を媒介として遠くまで届く。

一昔前なら、情報収集も人脈作りも、かなりの面が体力で補えた。情報を足で稼ぎ、人脈は対面で広げる。だが、現在これらに必要なのは体力よりも「言葉」だろう。体力づくりよりも「言葉を鍛えること」の方が飛躍的なパフォーマンスの向上が見込める。
今の時代、手っ取り早く世界を広げたいのなら、「言葉の獲得」に投資することをお勧めする。(さらに言うと、より広い世界へ繋がるという点では英語の習得が良いだろう)

だが、これって、捉えようによっては非常に生きづらい世界なのではないか。インターネットが普及し、人との繋がりが補完された半面、生活の中で言葉が占める比重は増しているように感じる。

言葉を強要する社会

世の中、言葉を紡ぐのがそれほど得意でない人、それ以外のことに特化した人も一定数いるはずだが、急激なIT化で社会がそういった人を許容できなくなり始めているのではないか。

IT技術の進化は、人間を単純作業から解放する半面、人間に「知識労働」を強要する世界を作る。そして、現在もまだ発展途上であるIT技術によって、知識労働のアウトプットのほとんどは「言葉」に限定されてしまう。現在の知識労働において「言葉」は不可欠。仕事で「コミュニケーション」と呼ばれるものの要は結局のところ言葉だ。

他者の協力を得るには「言葉」が欠かせない。違う専門性を持った人間同士の場合、意思疎通には実質言葉以外の道具が無い。自らが言葉を振りかざし、相手にも言葉を強要する働き方とも言える。
意外なことに、自身の専門性を商売道具にする職業ほど言葉の力を研ぎ澄ます必要があるのかもしれない。


SNSが人と人の繋がりを広げた一方で、繋がりを維持するための言葉も必要となった。物理空間を越えた新たな距離感においては、対面とは少し違うエネルギーを消耗してしまう。

言葉は便利だが万能ではない

普通のサラリーマンをしていると、仕事の始まりは言葉だし、進めるのも言葉で、最後まで言葉が付いて回る。世の中言葉で始まるものばかりではないということをつい忘れてしまうほどに。

言葉に支配されたこの時代、割を食っているのは、「言葉を紡ぐ」よりも得意なものを持つ人達だろう。どんな特技も言葉の力に負けてしまう。
最近のSNSが画像や動画、スタンプなど、言葉以外の伝達手段を積極的に実装していることを考えると、やはりノンバーバルな意思疎通には需要があり、大多数の人間にとって「言葉で表す」という労力は非日常なのかもしれない。

だが、今の時代に大きな影響力を持つのは「言葉で発信できる人」だ。たとえこの世に言葉で言い表せないものがいくらあろうとも、言葉で表せないものはこの世界・社会に存在しないも同然なのだ。

社会人とは「言葉」の使い手

「言葉」の発明は組織やコミュニティなど、社会の発展を促した。1人の人間だけでは到底できないようなことも、協力によって成し遂げることができる。「言葉」による意思疎通のおかげで。

世の中には一芸に秀でた「〇〇しかできない」という人間が一定数いる。彼らの才能なら、1人だけで「普通の人」を凌駕する成果を上げることができる。
だが、大多数の「普通の人」は、言葉の力によって互いの力を借り、大きな成果を上げる術を身につけた。それが言葉社会で生きる「社会人」の姿なのかもしれない。社会人の意思疎通は言葉で行われる、というより、言葉で意思疎通する人達が社会を作っているような気がする。

大多数の「普通の人」が作り上げたこの言葉社会では、言葉が出発点となり、言葉が伝達手段となり、言葉が最終成果に添えられる。
この世界では、たとえ一芸に秀でた人間であっても、表現手段が特技1つだけだとすぐに詰む。特技を披露する以前に「言葉」を要求されてしまう。社会人の意思疎通様式に馴染めない人間はつまり社会に馴染めない。
特技に加えて「言葉」を習得して初めて「一芸に秀でた社会人」としてこの世界に存在できるようになる。はたして今の時代、言葉が得意でない人達はどんな職を目指すのだろうか。

社会的役割と言語化能力

言葉が支配する社会で生きるとはいえ、必要となる言語化能力は社会的役割によって程度が違うだろう。
当然ながら、組織的・社会的に影響力の大きい人間には高い言語化能力が必要とされる。「言葉」を持たない人間が協働の中心になると、周りを不幸に巻き込む。言葉を持たない人間は社会のハブになれない。

日本は未だに年功序列の文化が残っているが、それは言語化能力の成熟、つまり言葉の獲得と年齢には緩やかな相関があるから成り立つのだろう。
年功序列で問題となるのは、言葉の獲得を怠った年長者でも出世できてしまう点。言葉を疎かにしたまま、言葉で人を動かすことはできないのに。

言葉社会で生きるコツ

そんな言葉の世界で苦しまずに生きるコツとして最近気づいた方法は、
言葉を起点に考え、言葉を使って発展させ、言葉でアウトプットする
ということ。
なるべく言葉以外の中間プロセスを経ず、言葉で上手く言い表せない要素は他人へアウトプットしない、という身も蓋もない方法だ。
「自分では見えているけど言葉で言い表せないもの」を他人に強要しなければ、お互いに疲弊も少ない。
もちろん、その意思疎通には情報の欠落があるのだが、100%伝えようとして結局0%しか伝わらないなら、最初から確実に70%が伝わる方法を選ぶ。

というような考えを、言葉を紡ぐ訓練としてブログに書いておく。

「言葉にできる」は武器になる。


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