もう2019年度も終わり。
3月で1番大きかったのは、やっぱり新型コロナウィルスによる世の中の変化だろう。
世の中がテレワーク化していく中、恥ずかしながら、オイラの働き方はあまり変わっていない。むしろ、仕事での外出が増えて以前よりも忙しく感じた。
Evernoteでの記録
ここ1ヶ月以上、なるべく感じたことをその瞬間にEvernoteに書き記すようにしていた。案外色々書けるもんだと分かった。
今まではパソコンの前に座って、心に引っ掛かっていることを絞り出して、並べて比較しながら繋げてストーリーを見出していた。材料不足なのに編集に偏り過ぎていたので、個々の考えを繋ぐ材料が不足して繋がりが見えずに悩んでいた。
ドキュメンタリーを編集するのに撮影素材が不足しているような感じ。
Evernoteで記録のフェーズをちゃんと用意したことで、編集の材料がやっと揃うようになった。
浮かんだアイディアが消えないうちに上手くEvernoteで捕まえたら、だいぶ自分の思考を言葉で写し取れるようになった気がする。側から見ると、すぐにスマホを取り出していじる人なんだけど。
思ったらことをなるべくその場で書き留めるようにして分かったのは、日を置いて何度か同じことを考えていて、少しずつ考えの輪郭を捉える言葉を探しているということ。
通勤中、会社で席にいる時、お風呂に入っている時。黙っている時でも頭の中で言葉が巡っている。
何も連想せずに頭をじっとさせるのは難しくて、2時間ぐらいでも、頭はすぐに脱線してしまう。映画館以外でちゃんと映画に集中できないのも頷ける。
1人の時間が長いからずっと思考が回り続ける。
頭の中のレベルでは外部からの刺激に即座に反応しているから、どんな刺激(情報)に触れるかがかなり大事。外部環境は常に変化するものだから、今自分がどんな刺激に触れているのか観察を止めてはいけない。
言葉でブレイクダウンしてからでないと取り掛かれない身体になってしまった。頭でっかちにはさらに拍車がかかっている。
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仕事で感じること
では、3月分の仕事のストレスを言葉で整理しますね(笑)
もう期末なのに、特に焦りもなくどうでもいい気分。会社員なのだから、大体の仕事は小手先でどうにかなる。
今の部署
今の部署に来て半年経った。この部署の働き方がやはり嫌いないのだが、このストレスをピンポイントで指し示す言葉がまだ見つからない。
会社員になってから、仕事での嫌なことや嫌いな人との関わりを面白おかしく笑い話にして消化する癖がついたけど、こんなことを続けていたくはない。
この部署で感じているストレスを分解して捉えてみよう。
対面に偏った情報伝達
上長を始めとして、伝える言葉や記録が疎かなので、対面でないと情報が伝達されない。双方向のコミュニケーションの必要が無い一方通行の情報伝達であっても、対面か電話を選択してしまう。
これは帰りづらく休みづらい職場の特徴でもある。決定事項や理由が記録に残らないので、メンバーが時間的に同期していないと仕事が進められない。
記録に残る伝達方法を使わないままだと、あらゆる局面で齟齬が出て事が複雑化しがちだ。時間が経つと互いの記憶違いも起こるし、人数規模が大きくなればそれだけ齟齬も起こりやすくなる。
上長が自部署のキャパシティを把握できなくなっているし、そもそもキャパシティに無頓着のようにも思える。計画的に動けず、行き当たりばったりなことしかできない。記録を残さないし、計画性の無さを客のせいにしてやり過ごしてしまうので改善が見られない。
雑な言葉
情報を記録するボキャブラリーや読む習慣がないから対面に偏ってしまうわけだが、対面を続けていると記録・読む訓練の機会も放棄されてしまう。
言葉の乏しさから抽象度の高いコミュニケーションが出来ず、緻密に仕上げた資料を使わないと考えを伝達できない。労力の割に、伝達される情報密度はかなり低い。共通認識が乏しい専門性の低い集団だと実感する。
上長が部下に情報を上手く渡せず、結果として部下は作業しかできない人間になっていく。
テレワークでコミュニケーションできない
オイラの仕事は基本的にオフィスワークなので、テレワーク化しやすいはずである。だが、オイラの部署で完全テレワークへ移行した人はゼロだ。
会社全体ではテレワーク化を進めていて、周りの部署はどんどんテレワーク化している。
上長が「週一回は対面で顔を合わせる」「業務開始・終了時はかならずビデオ会議する」という謎ルールを掲げた結果、オイラの部署だけテレワーク化が進まない(笑)
不思議なもので、職場に出勤してその場にいれば上長は安心するらしく、あまり面倒なことにならない。
フロアの人口密度がどんどん減っているのに、オイラの部署だけいつもと変わらず。周りの景色だけがどんどん変わっていく。
試験的にビデオ会議を使ってみたら、普段のコミュニケーションの雑さがより一層浮き彫りになった。
雑な言葉、指示代名詞だらけの発言、相手の発言を遮った一方的な物言い。言葉で仕事ができない人達が炙り出されてきた。
ネットワークの遅延もあり、相手からの返事の間が取れず、何度も聞き返す耳の遠いお年寄り同士の会話みたいになってて、見ててしんどかった。遠隔で介護するとしたらこんな感じだろうか。
テレワーク化で見えてきたのは機材の問題だけでなく、情報を扱い伝達することの重大さだ。
手紙で文語的表現が重視されたり、電話口で独特の声色や口調が発達したことを考えると、伝達媒体に適した伝え方があるのだろう。
というか、YouTuberは動画メディアに最適化した人達が売れているのだろう。具体化・複雑化よりも要約を意識すべきで、限られた時間にエッセンスを凝縮して端的に伝えなければ。
量の尺度しか通じない
先月から「量と質」の尺度の違いが頭の中でずっとグルグルしている。
専門性の低い集団だと質の尺度を共有できず、物事を量の尺度でしか測れなくなってしまう。品質基準を明文化できない場合、プロセスの量でそれを担保しようとする。
情報の要点が分からないから、要約しようとしても抜粋しかできず、情報が欠落する。結局詳細な情報まで全て伝える以外に手が無い。ページ数ばかり増える資料。
「量の尺度」を誤用すると、ドキュメントの余白をせっせと埋めるような作業に陥りがちだ。他人のがんばったアピールに時間を奪われるのはしんどい。蛇足に労力を注がないでほしい。
最初のうちは誰でも量しか測れないものだけど、そこから徐々に質の尺度を獲得するはずなのだが。。。
質を定量化するとしても、間接的に量の尺度へ投影するしかない。他に良い方法はあるのだろうか。
ジェネレーションギャップ?
今一緒に働いている先輩は、オイラより10歳以上も年上で上長と同世代。上長だけでなく、その先輩との関わりで感じるストレスも結構ある。アメリカ駐在経験もある人なのだが、仕事ができて、かつプラスアルファで英語力がある、というわけではないらしい(笑)
上長と似た傾向もあるので、これはジェネレーションギャップなのかもしれない。
量をこなす働き方に身体が慣れしてまった結果なのか、段取りの悪さが目立つ。昔と今では分業の境目が違うことも影響しているのだろうか。
書類を作るのが下手で、情報を構成から考えることができない。作業に取り掛かってしまい、情報に無自覚だ。
事実と自分の考えの区別が曖昧で、会議の議事録を書かせるとねじ曲がった記録になるし、情報の伝達に信頼がおけない。その人の情報をもとに計画を立てると見当違いな方向へ向かってしまう。
割り込み
上長も先輩も、電話で仕事をこなすタイプ。他人の仕事に平気で割り込むし、他人に割り込まれることもさほど気にならないようだ。集中して頭を使う働き方をあまりしていないようなので、そもそも電話で割り込まれることを前提とした働き方に順応しているようだ。
割り込みに反射的に反応し、自分では長くボールを保持せず、すぐにパスを出す。それって、お前を経由する必要あるのか?
「忙しい」という感覚の正体は「労働時間が長い」ことよりも「割り込みが多い」ことの影響が大きい。業務の総量や成果が大したことなくても、時間も情報も細切れにされるとコンテキストスイッチが頻繁に発生するので忙しく感じる。裁量の無い労働は割り込みが多くなりがちだ。
会社員になりたての頃、割り込みの多い職場からキャリアをスタートしたが、その後部署異動して急に生産性が上がったことを体験して以来、割り込みが知的生産性を大きく下げてしまうことを実感した。
そして、知的労働に適応できない人間は割り込み対応を武器に自分の居場所を作ってしまうこと、互いに割り込み合って潰し合っていることも理解した。新人の頃は「これができないと自分の居場所は無い」と思ってたけど、最近は「こんなところに居場所を作ってはいけない」という気分。
今の部署は、多くの人が上長からの割り込みを嫌って情報を隠すようなってしまった。
上長は全てに割り込んで各々の手を止め、支配した気になる。他人を責める方向に労力を割き、互いに割り込み合わないと仕事が成立しなくなっている。
稼働中の機械に手を出すと怪我をするものだが、これが対人間となると曖昧になる。掛け持ちや割り込みが仕事だと思ってはいかんよ。
速く動く VS 早めに動く
事前にまとめて情報伝達せず、都度割り込む五月雨指示しかできない上長の下では「速く動く」部下が好まれる。とにかくレスポンスが速い「便利な人」である。
現場仕事が長いと、計画よりも「起こってからの対処」が得意になるようだ。その考えのまま出世した上長の下では、考えるよりも行動が重視される。それを「現場主義」と呼ぶ人もいるが、そういう働き方にオイラは嫌悪感を抱いている。
文脈を欠落させる情報伝達に心底腹が立つ。勾配が分からない。
サッカーやバスケのように、物事が起こってから即座に対処する反射的なリーダーシップは致命的に知的労働に向いていない。起こる前に計画できることは山ほどあるので「臨機応変」の範疇ではない。
集団の規模が大きくなるほど行動のスピードは鈍るものだし、大きな仕事には計画が必要だ。割り込みは集団の生産性を軽視する独善的な行為だと思う。
「お手伝い」は都度対処しかできず、それを超える働きは役割記述が無ければできない。「理想」が共有できなければ都度指示を出すしかできない。
立ち止まるべき時、駆け足すべき時
仕事には、あえて立ち止まって落ち着いて考えるべき時と、駆け足するしかない時がある。そして、駆け足の時はどうしても視野が狭くなり、判断力が鈍る。
この視野の変化を想定した上で、立ち止まって考えられる時間を大事にしたい。準備が質を上げるし、記録が迷いを減らす。
立ち止まらずに走りながら決め事を増やすとおかしくなる。誰も冷静な判断ができない。立ち止まれるだけの余裕を持とう。短距離走を走り抜けるよりも積み上げることを重視したい。
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今の職場から学んだこと
職場の悪口はこれぐらいにして、今の職場に来たからこそ得た学びの機会もある。
上長、先輩の働き方を傍で眺めていて(時には巻き込まれて)、自分の長所に気づくことができた。経験的に、オイラは同じ対象を長く観察し続ける方が性に合っていて、成果を上げやすい。
あまり他人に理解されないけど、学生の頃に低レイヤーの実装からインターフェイスまで層を積み上げた経験が、実体を抽象化して概念上で整理する思考の訓練になっていた。それは開発スキル以上に他人に伝えるスキルとして活きている。
1つの業務が長かった人は、自分の役割、動かせる範囲、動かせない範囲に無自覚だ。関わる人達それぞれの欠点を補い合う関係を目指そうとする時、障害となるのは年次を尺度とした上下関係だろう。
だが、目的の前には既存の関係性は無意味だ。関係性は固定じゃない。配られたカードで最大限のパフォーマンスを発揮することを考えるんだ。と、自分に言い聞かせる。
プロジェクトマネジメント
プロジェクトマネージャーを任されてから色々と学ぼうと思い始めた。
別にマネージャーになりたいわけじゃないけど、この機会に学べるなら吸収しておきたいので。
何かの参考になるかと思って、以前流行った「もしドラ」を見てみた。小説読むのはしんどいので映画の方↓
結局大して参考にならなかった(笑)
「プロジェクトとは何か?」を説明できるアナロジーを探すようになった。人によってプロジェクトの捉え方は違うだろうし、その捉え方の違いがマネジメント方法の違いになって表れている気がする。
カーリング
最初に頭に浮かんだのはスポーツの「カーリング」だ。現状を俯瞰で見極める人と、個々の活動に従事する人が別々な競技。1度スタートしたら進路を磨いて整えてやることしかできない。だが、これも事が起こってからの五月雨指示を肯定するようなアナロジーだな。
交通整理
次に浮かんだのは「交通整理」だ。これもマネージャーにできるのは情報や協力関係を整えて事故を防ぐことだけ。個々の車を直接押してスピードアップすることはできない。
作曲家と指揮者
カーリングも交通整理も、事が起こってから後手で対処に回るものなので、計画の要素が薄い。
現場での交通整理よりも大事なのは、事故の起こりにくい交通法規を定めることのはずだ。
スポーツは、定められた絶対のルールの下での活動なので「仕組みで解決する」ことの例えには使えない。
そこで頭に浮かんだのは、作曲家と指揮者の関係。作曲家は仕組みを作り、指揮者はその仕組みの中で適切な交通整理を行う。仕組みだけあっても指揮者がいなければ事故が起こる。
「プロジェクトマネジメント」は暗に、指揮者の働きを指しているが、時として作曲家の働きが必要なこともある。というか、作曲の段階を無視していきなり指揮者を投入してしまう例をよく見かける。
仕組みで解決すること、マンパワーで解決すること。それぞれに限界がある。演奏が始まってから作曲し直すわけにはいかないはずだが、多くのプロジェクトで指揮者が編曲している例は見かける。
モノマネ仕事の限界
モノマネのように働き方を身につけると、仕組みに思い至らない。モノマネで指揮者のフリを始めることはできるかもしれないが、モノマネの延長で作曲家のフリをするのは難しいだろう。
測れるものしか管理できないが、モノマネのままでは測り方が身につかない。
今まで安達裕哉氏の記事をよく読んでいたが、仕事のストレスを上手く説明できる言葉が欲しくてついに安達氏の著書を購入してしまった↓
原理原則に一般化された情報よりも、今は仕事ですぐに応用できそうな噛み砕かれた情報が欲しい。
なんだかんだで今の部署に同化できていることを考えると、やっぱり適応に関しては問題無さそうだ。自分自身が感じている違和感は置いておいて、仕事ごっこに参加しているだけだから簡単だ。なりきり遊びには昔からやり慣れている。
同じ業務を長く続けられないことにも最近抵抗が無くなってきている。職業の寿命がどんどん短くなっている時代だから、特にテクノロジーと関わる仕事は変化して当然なのだ。
以前の方が不安は強かった。今は少し諦めも入っている。適度な視野の狭さに慣れてしまった。スキルアップというか、適応しちゃうだけなんだ。
テレワークの準備
設備的にテレワーク環境が整いつつあるけど、オイラ自身の気持ちの準備がまだ整っていない。仕事のルーチンが変わる前に生活のルーチンを変えざるを得なくなったのでまだ気分が落ち着かない。
オイラは集中力が無いので、働く環境をちゃんと整えないと家で仕事なんてできないと気がしている。
ストレスはあるけど、職場は設備的に成果を上げるためのお膳立てが整っている。机の高さ、椅子と、仕事に集中するための環境はかなり良い。
気持ちを切り替えるための「仕事ごっこ」の空間が結構大事。仕事ごっこの舞台では、好きじゃないこともそこそここなせる。
同じことが家でもできるだろうか。そもそも「その場にいるから」という理由以外で上長や同僚と会話しようと思わないし。
家でNetflixとか見ながら仕事しても良いのか?
人の力を借りる
今年の抱負の1つ「人の力を借りる」の進捗(?)というか感じること。
人の力を借りるには、まず自己開示が必要だ。だが、オイラはできるようになったというより、自己開示用の自分を形成してしまった気がする。
自分は測り方を知らないから、他人の知見をその尺度の基準として頼りたかった。尺度が見えればブラッシュアップの方向性が分かるから。だが、頼まれる側からすると、他人と尺度を共有できないとめんどくさくなって諦めモードになりがち。
「人に頼む」側が暴走しやすいことに気づいた。プロセスのフィードバックが得られないので、成長しにくい。
数年前に仕事で人に頼む訓練を意識したことがあったけど、そういう意識無しに年齢を重ねた結果を今の職場の先輩に感じる。頼む側が業務を分解できる程度に理解していないと、分担も何もないのである。
他人の力を借りるには、相手の力量だけでなく、自分の力量も把握できていなければならない。
自分の力量は高めに錯覚しがちだが、自分にとって未知のタスクに対しては力量をかなり低く見積もらないと。未知の相手の力量は低く見積もらないといかんし。
工程分離会社のように役割が定型の人達の力を借りるのは楽だ。アウトプットの範囲があらかじめ定義されているから測りやすい。
英語学習
スマホアプリのabceedを使い始めて1ヶ月以上経った。通勤時間や夜寝る前にやっている。
自分に適した学習勾配を用意してくれる有り難さを実感する。結果として学習時間が増えた。
そもそも何でまた英語学習を再開したかというと、書類映えする経歴に憧れるようになったから。今までは資格試験の類は実務スキルと乖離しているイメージがあって軽視していたけど、書類選考では絶大な力を発揮すると気づいたのだ。ここがショボいと大体足切りされてしまう。
abceedで単語ばかりやっていると、あまり頭が働いていないのが分かる。字面だけで英単語を覚えるのはやっぱり無理そうで、絵が欲しいところ。単語単位で覚えようとすると、品詞も意識しにくい気がする。
触れる刺激でちゃんと頭を回せるかが記憶には大事らしいと気づき始めた。聞き取ってデフォルメして書くとか、自分の頭の中で一加工経由してアウトプットした方が良い。モノマネもその1つと言えるかも。
自分の頭の中で反芻できる状態を作らないと記憶に定着していかない。忘れかけていたことを思い出すプロセスが記憶を定着させるのかも。
自分の弱点がちゃんと分かるようになってきてるのは良いことだ。以前よりも高い解像度で目標までの道のりを捉えられている。勢いで5月末のTOEICテストに申し込んでみた。
スマホアプリのおかげで、横になっている時間も読書や勉強に当てられるようになった。というか、本当に横になっている時間が長い。Evernoteの記録も、寝る前に横になって書いていることが多い。
最近SANTA TOEICという別アプリの存在を知ってしまった。スマホだけじゃなく、パソコンからも使えるらしい。やり遂げる前に他の選択肢に惑わされることが多い。
生活
新型コロナウィルスの影響で、生活面で色々と気にしなければならないことが増えてちょっと疲れている。
マスクがなかなか手に入らなくなってきているけど、花粉症に備えて多めにストックしてあるのでまだ大丈夫。トイレットペーパーも十分ある。
2月の終わり頃からジムに行くのを自粛しているので結構な運動不足だ。
映画館にも全然行かなくなってしまった。事前にムビチケを購入していた映画もどんどん公開延期になっている。結局劇場版ウルトラマンタイガはいつ公開されるのか。
やりたいこと
物語を執筆したいとずっと思っていながら、まだ着手すらしていない。とりあえず4コママンガと解説(?)の構成で月1か週1ぐらいのペースで続けたいのだけど、最近生活のペースが乱れて色々なことがスタックしている。自分への言い訳になるが、疲れ過ぎている。帰ってから余力が残らない。やってみたいことはどんどん溜まっていく。
手間と時間のかかりそうなものは早めに手をつけてもやはりスタックする。ある程度溜まったら、難易度に低そうなものに手をつけよう。最初は軽率なアウトプットを目指していたはずなのに、単にコンスタンスなアウトプットに持ち込もうとしている。もっと衝動的なのをやりたい。
たまたま見たTEDの動画で言っていた「20時間でそこそこ上達する」というのを信じて、とりあえず20時間は続けて何か変わるか観察してみたい。
ZBrushで模刻をやってみたいので、とりあえず20時間はやってみようかな。スピードモデリングみたいな動画を見過ぎで感覚が狂っていた気もする。怪獣の頭だけを20時間かけて模刻するとか。
本当は「作る仕事」がしたい。作っていると見えてくる未来の景色が好きなんだ。作った先を想像すること。
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