ストレスを糧にして成長するために、自分の気持ちの変化を振り返る。
言葉で整理するストレス解消法は、経験・失敗を消化して糧にできる反面、嫌な事について考える時間が増えてしまう事に気づいた。
そして、ブログを思考の整理に使おうとすると、どうしても記事が長文になってしまう。
抱負の進捗
今月は先に抱負の進捗から。先月に引き続き、「人の力を借りる」「軽率なアウトプット」を意識して過ごしたつもり。
人の力を借りる
初対面で「何となく頼りないな」と感じても、自分の認知バイアスを疑ってその直感を押し殺して接することが多い。しかし、そういう直感は結果的に大体当たってしまう(笑)
他人と同期する分スピードは遅くなってしまうし、結果もダメだと時間を無駄にしただけのような気分になる。
相手が使っている言葉が指し示すものが実は虚無だったと、結果が出て初めて分かるから始末に悪い。「この人には自分に見えないものが見えているんだ」と信じていたのに、別に何も見えていないのにそれらしく振る舞っていただけだと。
オイラは相手に暗に期待し過ぎてしまう癖もある。本当は最初に自分の要求を明示的に相手に伝えなければならない。
だが、仕事でもそうだが、相手が明示的に口にする要求と実際に必要なことはズレがあるものだ。何割かは本人にも自覚できない要素が残ってしまう。
相手が見えない段階では、伝える際の抽象化の指針も分からない。
「人の力を借りる」はなかなか上手くいかない。理想的には、最初は期待を小さく保ち、少しずつ関係を深めながら期待も大きくしていく方が良いのだろう。
軽率なアプトプット
2月は割と軽率なブログ記事(文章量が少ない)を多く書いたつもり↓
https://blog.negativemind.com/2020/02/
「量と質」の話で言うと、量に偏っているわけだが、アウトプットが無いと自分に存在価値があるのか不安になってくるのだ。
最近読んだ書籍「具体と抽象」の影響もあって「量と質」の問題が頭の中でグルグルしていた。
「量」を測るのは簡単だから、アウトプットのハードルを下げるにはピッタリの方法だと思う。
だが、それを続けていて「質」は追いついてくるのだろうか。
スポンサーリンク
日々の記録
2月は頭に思い浮かんだことをなるべくその瞬間にEvernoteで書きとめて、言語化・記録のハードルを下げてみた。
こうして逐一Evernoteにメモしていると、起きている間は思考が休まることがほとんど無いのだと気づく。自分は常に何か思考している。
思考が不定形だから、その時々の形を観察して書き留めておきたい。書き下して整理すると鮮明に見えてくる。逆に言うと、ずっとブログに書き下す習慣を続けてきた弊害なのか、書き下さないと頭が働かなくなってきてもいる。
スマホのフリック入力じゃ全然書けないと思ってたけど、思考が揮発する前に書き留められる価値は予想以上に大きい。頭に浮かんだ断片をとにかく記録して、一定時間単位で整理、まとめるようにすれば負荷無く書けるかもしれない。
Twitterを始めた頃に得た感覚にも似ている。最近は恥ずかしさもあり、Twitterに逐一投稿するのには抵抗がある。
いちいち記録するのは面倒だけど、細切れの時間に対処するには記録が1番だ。編集は後でキーボードを使ってやればいい。オイラはゼロから書くより編集の方が断然得意なので、苦手な記録フェーズはなるべく生活にフィットさせて負荷を下げよう。
Evernoteを使ってハッキリと分かったが、Wordpressの管理ページは重過ぎる。
仕事で感じること
今の部署に来て5ヶ月。また1人、今度は先輩が退職した。ここ数年は先輩後輩関係なくジャンジャン辞めている。
量と質
時間の使い方が「安物買いの銭失い」のように感じる。「量と質」の話で言うと、量が偏重され過ぎて質に労力を割こうとしない。
量と質の話は、料理の量と味に例えると分かりやすいかもしれない。
量は習熟していなくても測りやすい。質の分かる人間が質を安定させて量を作る方法(レシピ)を考える。末端の人間にはレシピという手順の形で間接的に質が共有される。測り方を知らずとも、プロセスによって質が担保される。ファーストフードやチェーン店はまさにそれだ。
プロセスで品質を担保する思想とは、つまり組織的に手癖を浸透させるやり方と言える。変化には弱い。
大勢に伝えることを想定する場合、「質」を「量」に変換して間接的に伝える方法を検討すべきなのだ。何となくマスコミニケーションと似ている。
「質を量に変換して伝達する仕組み」つまり、未熟な人間でもできる仕組みができあがると、スケールしやすくなる。
しかし、それが長く続くと、その仕組みに乗っている未熟者達が増長して破綻を迎える。質を測る尺度を持たず、自分達が仕組みの上に乗っていることに気づかない。事態をどんどん複雑にしてしまう。
逆に、量の尺度から質の尺度へ変換する方法はあるのだろうか。「測れないものは管理できない」とよく言われるが、量の尺度しかなかったところに質の尺度が生まれ、測れるようになるだろうか。
経験上、コミュニケーションにおいて、人数が少ない段階では質の議論もできるので可能性・思考を広げる方向へ話をする。
逆に、関係者の人数が増えると、人数と反比例するように思考は収束へ向かわせる。
事に仕える
何年も前から仕事で感じていたことが最近やっと言葉にできるようになってきた。
「仕事」は「事に仕える」と書く。オイラは確かに「事に仕える」働き方をしている。だが、周りを見渡すと「人に仕える」という感覚で働いている人の方が多いように感じる。
オイラは「事」に執着するけど、周りの人は「人」つまり、上司に対して滅私奉公している。「事に仕える」か「人に仕える」かでおそらく見える景色はちがうのだろう。
オイラは「事」に仕えるから上司に意見することに抵抗が無いけど、「人」に仕える人達にとってそれはあり得ない行動だ。
どちらが良い悪いというより、適材適所だと思う。「事」も突き詰めていけば「人」が作ったものなので、最終的には「人」に仕えていることになるだろうし。
「人に仕える」は目の前の人に仕えようとすると「お手伝い」になりがちだが、それに価値が無いわけではない。
少なくとも自分の働き方は「事に仕える」だと自覚した。
新人の頃の自分と比べて
今の部署の働き方は新人の頃に配属された職場と似ているので、自分の視座が変わってから同じ仕事に戻ってきたような感覚。昔の自分とは違う視点で同じような職場を眺めると気づくことが沢山ある。
新人の頃は「先輩は無条件に自分よりも優れている」という思い込みがあっていつも少し緊張していたが、今は先輩後輩関係なく人間には得意不得意があり、雑魚は雑魚のままだと知っているのでだいぶ肩の力を抜いて働けるようになった。オイラは「事に仕える」タイプだからか、仕事仲間が良い人かどうかよりも、仕事で邪魔にならないかだけが気になる。
昔は上長の「あいつら俺がいなきゃ何もできない」という言葉を鵜呑みにしていたが、それは上長が情報の上流にいるから当然で、情報を部下に渡さない限りその状態は続く。つまり役割を果たさない上長というだけだった。
そういう上長の下には段取りの下手な人ばかり集まっている。おそらく段取りの出来る人はその上長に従わないだろう。雑魚の上にしか立てない人。スケジューリング、段取りが無茶なのは身の丈が分かっていないからだろうか。
新人の頃は行動力があるように見えていた先輩も、今なら思考力が弱いんだと気づける。
昔は先輩の言っていることが理解できずに落ち込んだが、今思えば勝手な省略や指示代名詞を多用する伝え方が悪い。伝え方が疎かだと人を率いることはできない。
新人の頃は細切れの情報・時間でどうやってやりくりするかを工夫していたのを思い出した。細切れの時間の中で進めるために、事細かに記録する癖がついた。記録に割くコストは上がったが、その恩恵も大きかったように思う。
やったことのない仕事だとしても、書類をベースに話を進めれば大体同じ形をしている。
スポンサーリンク
社会人が立派なはずはない
そもそも社会とは、雑魚が寄り集まって互いに助け合う場のことだ。社会人になるということは、その助け合いの和に参加するということ。他の人達に助けてもらいながら、自分も少し力を貸す。自立することではなく、他の誰かと依存しあうこと。
そう考えると、会社も基本はノンスキルワーカーの集いだ。
年功序列とマタイ効果
会社で「優秀な人」ではなく「便利な人」が生まれてしまう理由を考えた。これは年功序列な仕組みとマタイ効果で説明できそうだ。
新人は「便利な人」になることを要求される。「便利な人」にチャンスが与えられ、チャンスをものにした「便利な人」は出世しやすくなる。
プロジェクトマネージャー
いつのまにかプロジェクトマネージャーになっていた。
要件定義書とか設計書の類の開発ドキュメントは、書いた本人の理解が1番深まるものという気がしている。それは議事録にしてもそう。
書いてある字面よりもさらに高次元で抽象的な全体像が頭の中に構築される。進行係が書類に書き下して理解するプロセスがその後のプロジェクト進行を助ける。
開発ドキュメントを他人が読むとよく分からない場合が多いけど、あれは伝えるためのドキュメントではなくて当人達が理解を深め、穴を見落とさないようにするためのものだ。
打ち合わせを梯子しない方が良い。結局関係者に迷惑をかけてしまう。
新型コロナウィルス
新型コロナウィルスの件で世間的にもリモートワークが推奨され始めているけど、今の職場の人達はその場での口頭だけでなく、メールでも電話でも指示代名詞を平気で使う人達なので、リモートワークはちょっと不安だ。情報の齟齬が生まれ続けるだろう。
普段から指示代名詞に頼った伝達をしていると、お互いのワーキングメモリの持続差で齟齬が出る。
以前先輩の産休の時にも少し感じたが、社会とは弱者を守る仕組みだと頭では理解しているものの、独り身だから配慮しなくて良いという扱いは少し思うところがある。
その他
朝に会議の予定を入れられるのがちょっとしんどい。通勤ラッシュの中で移動しなければならないのと、電車の遅れを見越して早めに行動するので、だいぶ時間を取られてしまう。
会議の準備だけで時間が埋まってしまう。映画を観に行く頻度も減っている。帰れる時間が読めないのだ。
だが、こういう「念のため」のコストを払っている人がそんなに多くないことに気づいた。そこが段取りの悪さ。
概念が肥大化し、人が概念に押し潰されるようになった。概念は人が作ったもの。
見えない者にとって概念は軽く、見える者にとって概念は重い。
人が作った概念を捉え、操れるようになるには訓練が必要。繊細な概念を理解して操る者にとって、そうでない者は怪獣のような存在。苦労して積み上げた概念を壊しながら迫ってくる。
概念の下敷きになる。
自己分析
オイラは大した学歴も無く試験の点数も悪いのに、何で仕事ではそこそこ通用しているのだろうか。実際、職場ではそれほど無能じゃない。
今まで、自分なりに成果を出せるやり方だと思っていた「よく見てよく狙う」というアプローチは、適応的なアプローチということかもしれない。適応的に自分の行動を変えていくということ。
何度かやり取りして誤差を修正していく。誤差の収束が他人よりちょっと速い。そういう点で、オイラは適応力のある人間といえる。
適応的なアプローチだから、入り口ではなかなかマッチングしないけど、入ってみると順応できるんだと思う。どこへ行っても人間関係ではそこそこ浮くけど、仕事としては割とすぐに順応できる。
欠けていそうなものを自分で補充しながらやってきた結果、いつの間にか適応的なアプローチが身に着いたんだと思う。眺めているうちに欠けている点も目についてもっと直そうと欲が出てきてしまう。
慣れたやり方を貫くよりも、適したやり方を選ぶし、適したやり方を探し続ける。観察から学び取る。
今まで、自分は自己肯定感の低い人間だと思っていたけど、仕事では案外図太く過ごしている。1度やってみて初めて自分の得意な範囲が分かってくる。学びの根幹は反芻と反省。
生活
仕事でも生活でも、以前より疲れやすくなった。というより、今は疲れを麻痺させる要素が無いのだろう。夢中になっていない。
新しい部署に移ってから、念のために多めに睡眠時間を確保していたけど、2月はちょっと睡眠時間を削ってみた。薬である程度バランスを整えられると知ってから、不安は少し軽減した。ぐっすり寝ると翌日の夜はあまり眠くならない。
割と朝型になったが、土曜日は寝過ぎてしまう。
年々、身体がリズムの変化に弱くなってきている。睡眠や食事のリズムがズレるだけで腸の調子が悪くなる。
興味の無いことはいつの間にかルーチン化してしまう。ストレスを避けるうちに決まったやり方に落ち着くんだろうか。
英語学習
abceedというアプリを使い始めた。
英単語の覚え方として、いわゆる単語帳みたいなやり方が自分には合っていないようだ。細切れになったままの情報を覚えるのが苦手。文脈から切り離して並べられると形が見えない。分解していく思考の方が得意かもしれない。隙間時間でできるのはあくまで習熟度チェックだけだ。abceedのテストで間違えた単語は自分で例文を作り、できればイラストも描きたい。
今だったら、単語をGoogle画像検索するだけでもイメージが手に入る気もする。
Ankiというツールも合わせて使ってみようか。
https://medium.com/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%AA%9E%E5%AD%A6%E7%8B%AC%E5%AD%A6%E3%83%A1%E3%83%A2/%E5%8D%98%E8%AA%9E%E5%B8%B3%E3%81%AFanki%E3%81%8C%E9%9D%9E%E5%B8%B8%E3%81%AB%E5%84%AA%E7%A7%80-fb1d5e55efad
ZBrush
久しぶりにZBrush作業をして、今まで使っていたペンタブレットの反応が悪くなっていることに気づいたので思い切って新調した↓
初めてIntuosを使い始めてから14年ぐらい、もう4台目になる。
あんまり長く手を付けずにいると、やりたかったことが分からなくなってしまう。趣味ももっとハードルを下げてアウトプットを増やしたい。
既存素材を組み合わせるBashをもっとやっていこうか。
その他
使っていた電気ケトルの取手が経年劣化で壊れてしまった。熱湯が入った状態で取手が取れてしまわなくて良かった。
新しい電気ケトルを購入した↓
スポンサーリンク
コメント