昨年末に、2019年は2ヶ月おきぐらいで振り返り記事を書こうと言っていた。
そして、気持ちの整理とは別に、具体的な行動をカウントするような定量的な振り返りをして改善を図っていきたい、的なことも言った。
ここ2ヶ月ほどで、もっとキャリアアップにつながるような目的意識を持って振り返り・言語化していきたいと思うようになった。
年末には「2019年は1日1時間は英語に触れたい」とも言ったが、実際にはここ2ヶ月全然触れずに終わった(笑) ホントに最初の3日間だけでしたね。(ものの見事に三日坊主)
そういえば、週1本ペースで英語の論文を読みたいと思ったこともあったな。。。
勉強を継続するには?
これまでの経験から、自分は勉強があまり得意ではない(続かない)ことはなんとなく分かってきたので、その原因について少し考えてみた。
今まで何かの勉強を始めようとしても、大抵のことは三日坊主で終わっていた。「三日以上続けられない」のは何故なのか。
その原因として思い当たることを上げてみた↓
- 優先順位の問題
- 持久力の問題
- 自分の頭の癖
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1. 優先順位の問題
1は要するに時間の使い方の話。1日24時間の内、自由に使える時間は限られているのにそれを上手く配分できていないんじゃないかと。
ここ2ヶ月の時間の使い方もかなり行き当たりばったりだった気がする。
年明けにちょっとARKitに触ったら思いの外楽しくて、そのままズルズルと1月はUnity-ARKit-Pluginのサンプルをいじって遊んでしまった。
それで再びGitHubでコードを管理し始めて、大した進捗ではないけれど草を生やすようになった。サンプルコードを元にいじって勉強する程度でしかないんだけど。
プログラミングの世界は既存のツール・ライブラリやサンプルが充実しているので、ちょっとの労力で平均レベルのリターンすぐ得られる。
新しいことを試す障壁がかなり低い半面、そこからもっと極めようとすると指数関数的に難易度が上がっていく。触り始めた当初とアウトプットの質は大して変わらないまま、気づいたら結構な手間と時間がかかっていたりする。
2月は、以前から少しずつ勉強していた一般物体検出のアルゴリズムについて、自分の理解度を確認するために記事としてアウトプットしてみた。
理屈を順に言葉にして吐き出してみると理解の穴が見つかるもので、それが現状の習得度合いの認識につながるのではないかと。本当は実装してみるのが1番なんだろうけど。
そして、ワンフェスに行ってZBrushのモチベーションを上げ、ZModelerのお勉強も。
お勉強というか、作りたいのに操作スキルが全然足りないから勉強みたいなフェーズになってしまう。本当は作るのが楽しいはずなのに。
やってみたいことが沢山あっても、使える時間と体力には限りがある。特に最近は睡眠を削ることができない年齢になった気がする。。。
頼まれごとなら優先順位をつけて取捨選択できるのに、自分で思いついたことだとどれも執着してしまって上手く選べなくなってしまう。「捨てる」って難しい。
まずは捨てずに最適化することを考えてみるか。時間割的に、一定時間内に集中してどこまでやる、みたいな。
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2. 持久力の問題
2は、自分の持久力をオーバーするような負荷をかけようとしていないか、という話。ここで言う「持久力」とはやや広い意味で、肉体的なことだけでなく、現在の習熟度みたいなことも含めて。
例えば、今現在の習熟度に対して高過ぎる(難し過ぎる)負荷をかけるのは無茶な話で、ただ消耗するだけで得るものが無い。もちろん続かない。現在の習熟度に見合った負荷を設定してやる必要がある。
この負荷のことを傾斜とか勾配と呼んでみようか。自分でも続けられる勾配をちゃんと設計してやらないといけない。急な坂道や断崖絶壁にいきなり挑戦しても、スキルアップする前に潰れてしまうだろう。
また、体力的なことで言うと「変に疲れるやり方になっていないか?」ということをちゃんと気にした方が良いのかもしれない。
特に英語の勉強に関して思うんだけど、オイラがTOEICの試験勉強とか全然できない原因は、そもそもオイラは「紙とペンで机に向かう」のが苦手なのではないか?と。
継続できるやり方?
ちょっと前に聞いた、筆圧がその後の学習習慣に影響を与える話が気になっている。
聞くところによると、筆圧が強過ぎる子はすぐに疲れてしまって勉強嫌いになりやすいのだという。なので、長時間続けても疲れない筆圧に早めに矯正させた方が良いのだとか。
これは「長時間続けても疲れないやり方を早めに習得させる」と言えるわけで、継続する習慣づくりの基本なのかもしれない。
自分の学習時の姿勢や環境などが無駄に体力を奪う形になってやしないだろうか。
高校生ぐらいまでの勉強方法を振り返ると、思い当たる節がある。高校の授業は板書中心の講義で、黒板を書き写すだけで疲れてしまった。オイラはペンの持ち方が独特なのか、書くのが遅くて筆圧も強めだった。
先生の書く(消す)スピードに追い付くのがやっとでちっとも頭に入らなかった。
大学以降はパソコンを使うことが増えたのでそういう疲れから少し解放された。
今現在、何だかんだでブログを書くのは続いていることも考えると、オイラは長時間パソコンに向かってキーボードを叩くことにはさほど抵抗が無いようだ。(これは設備への投資額の違いもあるような気はするが)
英語の学習も紙とペンじゃなくて、パソコンに向かってキーボードを叩くようなやり方、あるいは寝転がりながらスマホでできるようなやり方にできないだろうか。iPadとApple Pencilでも良い。
そういう点では、スポーツジムってよくできていると思う。負担にならない程度に負荷をかけるという絶妙な設備。ランニングマシーンも、天候に左右されずに負荷を調整できる。
習慣作りが重要なのは以前から感じていたけど、それを設備投資の検討材料として考えてみようか。アルゴリズムを最悪実行時間で比べるような感じで。
3. 自分の頭の癖
3はまだあんまり上手く言語化できていないんだけど、自分の頭の特性に合った学習方法を採用した方が効果的だろうな、と。
ここ数年でだいぶ自分の苦手に自覚的になってきた。
文章を順に読んでいく継次処理が苦手で、字面を見て頭に叩き込むような、いわゆる暗記系の勉強が全然できない。単語帳と透明な赤いシートで単語を習得できたためしが無い。
これは自分の頭の癖なんだと思う。
世間にはベストセラーの学習参考書があって、大多数の人にとって効果的な勉強方法は体系化されている。
でも大多数と自分が同じわけじゃないし、できる人からのアドバイスは、できない側の人の前提とズレている可能性もある。
自分が記憶力を発揮できるのはどういう場合かと振り返ってみると、勉強したことでよく覚えている事柄は、大体その時のシチュエーションとセットで記憶している。
エピソード記憶ということなんだろうか。映画なら1回しか見ていなくても大体覚えているもんなぁ。
ということを考えると、エピソードになっていないぶつ切りの単語や例文では習得しづらいのだろうな。
スキットみたいな感じでシチュエーションに対して自分でアウトプットするような学習方法の方が良いような気がする。そういう学習アプリは無いだろうか。
特性を受け入れる
最近、たまたまこのブログの古い投稿を見返す機会があった。
就職活動の頃は、自分の特性を否定して大多数に合わせようと必死だったように思う。正解を目指そうとしていた。
今現在、自分の特性を受け入れた上でパフォーマンスを発揮する方向に目を向けられるようになったのは進歩と言える。会社員になってから、他人と合わせることの限界を知ったからかもしれないが、一周回って自己肯定感を得られたような。
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