11月も言葉にして振り返る。
これは気持ちの整理なのだ。言葉として吐き出して、それを眺めるのがいつのまにかオイラのストレス対処法になっていたのだ。昔は負の感情に上手く対処できなくて、とにかく寝てしまおうとしていた。逃げる先が睡眠しかなかったのだ。
ストレスを言葉で整理して外部化できるようになった分、以前よりも気持ちが安定している。
たった1ヶ月でも、外部からの刺激で色々なことに思考がおよぶ。なんとなく感じた違和感を上手く説明できる理屈を求めて検索したり書籍を読んだり。
言葉にするのは苦手だったけど、さすがに継続は力というか、このブログで何年か続けているのでそこそこできるようになった。ブログで公開するためには多少事実をぼかす必要もあり、良い感じに構造化・一般化が進む。
こういう対処方法は独りの時間が確保できるから可能なことではある。だから「独り言」を大事にしたい。
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仕事
ここ数ヶ月で、今まで仕事で感じていた嫌悪感の正体がだいぶハッキリしてきた。大きく2つある↓
- 個人のために集団を食い潰す
- 反射的な働き方
観測できる現象としては2つだけど、その根っこは同じかもしれない。大多数が滅私奉公の価値観で動いていて、それが負に作用している。
滅私奉公は昭和の古い価値観かというと案外そうでもなくて、部活動(特に運動系)では今でも先輩後輩の上下関係・役割のベースは滅私奉公だろう。「新入生は雑用係」みたいなやつ。
その結果会社で起こっているのが上に挙げた現象。
1. 個人のために集団を食い潰す
これは滅私奉公の弊害の最たるもので、下の者をただの手足として使い潰してしまう。
ここには「新入りには何のスキルも経験も無い」という暗黙の前提が隠れているが、実際のところ今時の新卒は一昔前のおっさんよりも遥かに勉強していて、実績もあったりする(笑)
滅私奉公の価値観が、新しく入ってくる知性の受け入れを拒絶してしまう。
結果として、集団のパフォーマンスは最大化されず、上長個人の体感的なパフォーマンスが(パシリが増えた分)少し向上する程度になる。
悪い言い方をすると、トップのバカが組織の隅々まで感染るだけなのだ。個人の乏しい知性がそのまま組織全体のボトルネックになってしまう。
悲しいことに「面倒見が良い」と言われるような人ほど、新入りを自分色に染めようとしてしまい、本来のパフォーマンスを潰すことになる。
最近は「高度○○人材」として別待遇で人材を迎える企業も出てきているが、それが既存の社員への牽制のように働けば上手くいくのかもしれない。
明確に分けないと従来の慣習のまま、新入りをパシリ扱いして能力を潰してしまう。
2. 反射的な働き方
そして、滅私奉公の世界で好まれる下っ端の素養は「レスポンスの速さ」だ。即答、即行動。
仕事とは、立ち上がりは少人数でゆっくりだが、少しずつ大人数になり駆け足になっていくものだ。最後の仕上げはほとんど瞬発力。
大抵の場合、新入りは仕事が大人数・駆け足になったフェーズにアサインされ、駆け足の速さで評価される。自ら考える時間を放棄した人間の方が好まれ、評価される。
一昔前の少年漫画の主人公は直情型の性格が多かったが、すぐに行動する人間は周りからの理解を得やすい。
問題は、そこで評価された人間が年功序列で上の立場へ上がっていくことだ。反射的な働き方に最適化されてしまった人間が、大勢を率いる立場になってしまう。
すでに反射的な働き方での成功体験があるので、仕事のフェーズ、役割の変化を無視して今までと同様に反射的な働き方を続けがちだが、反射的な働き方は状況の変化にとても弱い。
余談だが、人から判断力を奪う簡単な方法は「時間が無いから」と急かせるだけで良い。
2つの思考モード(システム1・システム2)
最近、心理学・行動経済学の用語でシステム1、システム2と呼ばれる2つの思考モードを知ったが、「反射的な働き方」はシステム1に該当しそうだ↓
https://uxdaystokyo.com/articles/glossary/system1-system2/
業務を一般化して整理するには、ある程度量をこなして経験する必要があるが、量をこなした経験はシステム1の思考を強化してしまい、システム2の思考の妨げにもなる。だが、大勢を率いる立場の人間に必要なのはむしろシステム2の思考モードだ。
これは本人が自覚的に自身をアップデートしなくてはならないが、後輩・部下が増える(子分が増える)ことに慢心するのか器が小さいのか、仕事人生で知識をアップデートしようとする人はあまり多くない。
オイラ自身は役割を演じようとするタイプだからか、昔は「立場が人を作る」という考えをそこそこ信じていたのだが、世の中そうでもないらしい。
年功序列とシステム1の思考モードが変な化学反応を起こして自己評価をバグらせるのだろうか。
オイラ自身はもともと反射的な働き方が苦手で、解決策を求めて意識的にシステム2の思考を使うようになったのかも。仕事においてシステム1での成功体験が無い。
仮にシステム1で結論が出せる感覚があったとしても、個人的にはそれをシステム2で説明できるように心がけたい。抽象と具体を往復して。
有名なこの書籍を読んでみようか↓
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自己分析
いい加減しつこいですが(笑)
自己分析は自己開示の準備だと思ってやっている。(もっとストレートに言うと、早く転職したいわけですが)
自己開示が下手なのよ。
https://note.mu/simpeiidea/n/n37755113d9ec
ただ、加減が分からなくて週末も自己分析以外何も手につかなくなっている。秋は過ごしやすい気候なのに、全然模型をいじっていない。
昔から、うんうん悩んで考えを絞り出すのが好きで、なまじ「分析」と付いているからしっかり事実を浮き彫りにしたくなる。
実際には、自己開示において事実を上手く整理して言い表す必要はないはずで、自分自身を規程して言い張ってしまえば良いだけの話。
なんだけど、どうもオイラの性格上それができない。「自分はこうだ!」と言い張る自信が無いからだろうか。
エッセンスを上手く抽出・凝縮して表したくて、1アウトプットするために少なくとも10ぐらいインプットしておきたくなる。とにかくいったん散らかして、眺めながら少しずつ1つにまとめていく。
色々と習熟するほどにアウトプットが遅くなる原因はこの性格故か。「上手く表せていない」と自分に厳しくなっていくのだ。
自分の持っているスキルの棚卸し的なことをしてみた↓
少し書いてみると、オイラはいったん骨子を書いてみて、それを指針にして過去のエピソードを思い出して肉付けしていくやり方が向いている気がしてきた。このブログでもよくやっているけど、後から思い出して追記するスタイル。
以前遺伝子検査をしてみたけど、それによるとオイラの能力的な面では記憶力が良い方らしい。
暗記系の勉学はあまり得意ではなかったので自覚はなかったけど、確かに幼少期のことも割と鮮明に覚えている。BBCのドラマ「シャーロック」で「精神の宮殿」という概念が出てくるけど、それに近くて、カテゴリーから芋づる式に過去の記憶を引っ張り出せる感覚はある。
それがプラスに働いているかというとそうでもなくて、随分と過去に引っ張られている気がする。執着してしまうのだ。周りはどんどんアップデートしていくのに、自分はずっと過去に縛られているみたい。
たまに、凄くストレートに前進してきた人に遭遇することがある。やったことがダイレクトに、無駄なくアウトプットにつながっていて、羨ましく思うこともある。キレイな経歴に憧れる。
まあ、実を言うと自己の言語化以上に難関なのは「志望動機」なんですけどね。仕事でそんなこと一切問われたことが無いのでまるで経験値がまるで蓄積されない。
生活
とても今更だけど、プライベートに計画性が無いのは何年もカレンダー無しで生活していたのが原因な気がしてきた。可視化しておかないと1ヶ月の量感覚すら無くなってしまう。生活感覚が1週間単位だった。
もう年末が近いので、今カレンダーを買うとしたら来年用だな。
学習
英語学習について、短時間(数分)単位で聴けるpodcastを試してみている。できれば、一般的なニュースよりも自分の興味の範囲に近いジャンルのものを聴きたいのだが。
ここ最近思うに、オイラがやりたいのは英語ごっこなのかもしれない。英語圏の人間になりきって生活するような。
GANの手法を記事にまとめる勉強法が滞っている。Pix2Pixの記事がずっと下書きのまま。
学び方
ここ何年かブログを書き続けてきて、自分に効果的な勉強法は少しずつ見えてきた。
ディティール(応用・結果)から理論(基礎)にさかのぼるような学び方の方がモチベーションを保ちやすく、新しい情報を過去の知識と関連付けること、定着しやすくなるようだ。基礎から始めようとすると抽象度が高過ぎてピンと来ないことが多い。残念ながら、せっかく抽象化して整理されているのにそこから可能性を実感できないのだ。
興味を持ったことについて色々と調べてみたくなって、最初はただそれをブログにメモ書きする程度だったけど、後にそのメモにつなげて知識を補充していくと記憶に定着しやすいのだった。
雑感 箇条書きコーナー
また上手く文章にまとまらないことを箇条書きしておく。どうしても仕事で直面したことに起因する愚痴みたいなことが多くなる。
人を率いる器
新しい上司は、思い出したように口頭で指示を追加するケースが多く、部署がよく混乱する。
口頭指示はその場にいる2,3人程度でしか機能せず、それ以上の人数にはスケールできない伝達方法だと思う。集団を動かすにはそれ相応の伝え方が必要だが、それを面倒に感じるならば人を率いる器じゃないということだ。
また、言葉選びが雑なのか、物言いがいちいち癇に障る(笑) 雑な要求・言葉で他人は動かせない。
https://blog.tinect.jp/?p=62217
言葉しかアウトプットしないのに、言葉を疎かにされては困る。
https://blog.tinect.jp/?p=62830
ある程度の人数規模を指揮するには「計画」が伴った指示が必要になる。”Structured Approach“ですね。
バカのマルチタスクごっこに見えなくもない。
ある程度の人数の部下を抱えてしまうと、稼働させておかないと損に感じるのも分からなくはないが、雑な要求を投げて混乱を生むぐらいなら少し立ち止まって段取りを考えてほしい。
他人に頼む仕事
IT化で個人でできる範囲が拡大しているのに、従来通りに「他人に頼む仕事」をする人の不毛さを感じる。
それは過去に経験した役割の名残りかもしれないし、過去の分業制の名残りかもしれない。オフィスワーカーが従来の分業体制を維持したままIT化を進めるとこうなるのだろうか。
オイラから見ると1人でできることを、何人も集めて小分けにして頼んでいる感じ。これは世代によるある種のジェネレーションギャップなのだろうか。タスクの大きさに対してコミュニケーションコストの方が高まっているように感じる。
責任分界の観点では確かに分けた方が良い気もしてくるけど、生産性は低い。品質を担保するために生産性を犠牲にしているというだけ?
オイラ自身は他人に何か頼むのに結構な労力をかけてしまう人間。オイラ自身は雑な頼まれ方が嫌いなのも影響している気がする。
どうやって頼むかに労力を費やしてしまう。オイラは仕事を右から左に流す仕事に嫌悪感があり、創ること、伝え方に執着している。
ボールを長く持つのを恐れ、すぐに誰かにパスしようとする人が多い。
古い分業体制を維持し続けると、自分の詳しい範囲のボキャブラリーは豊富になるし、その外はとても解像度が粗くなる。
知識の分断とその溝をより一層深くしてしまう関係。無能の作り方にもなる。
すでに固定化した分業体制に後から加わると、自分なりに工夫する余地が無くてしんどい。
衝突するタイミング
意見を衝突させるのは悪いことではなく、問題の多くは衝突させるタイミングを間違えていることだ。
大抵は遅過ぎる。後になればなるほど議論している暇はなくなってしまう。
よく笑う人
職場によく笑う後輩がいる。仕事を楽しんでいるのか、それとも笑うのはある種の防衛反応なのか。
今までも仕事で関わる人達によく笑う人が何人かいた。言い方は悪いが、「よく笑う人」は「仕事の進捗が芳しくない人」でもあった。それは本人の能力を超えた業務を抱えてキャパシティオーバーになった状態で、別にふざけているわけでもなかった。
どうやら自身で対処できない問題を抱えると笑ってしまうのだ。
世の中、キャパシティオーバーになると笑ってしまう人が一定数いるように思う。よく笑うので初対面での印象は良い。しかし実業務では、人当たりは良いのに仕事がまるで進まない不思議な状態に陥る。
「笑う」という防衛反応で乗り切って来たからなのか、その後もなかなか具体的なスキル向上しない。
こういうことを考えてしまうのは映画「ジョーカー」を観たからだろうか。
ムキになる
仕事での対人関係で時々違和感を覚えるのは、反射的に多くを語り始める時だ。
「怒らせたかな」という感覚。人がムキになる瞬間には、理屈で整理する前に身体が反応してしまう。過去の何かを瞬間的に想起させるような生理的な反応。
角が立たないように振舞うのは、良い人なわけじゃなくて、あくまでストレスから自分を守るため。
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