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なりたい自分?

過去何度か、新年の抱負で「なりたい自分」という表現を使っていることに気づいた。


2017年の振り返り
あっという間に2017年も最終日だ。毎年やってる1年の振り返り。この1年でやりたかったこと、心がけようとしたけどできなかったことが結構ある。仕事で思うこと昨年もそうだったが、今年も仕事面ではなんだかモヤモヤと過ごした。自分は前へ進みたくても...


はて、「なりたい自分とは具体的にどういう姿なのだろうか。
度々「なりたい姿」なるものを目指しているかのような抱負を語っておきながら、それを具体的に明言しないまま3度も年を越した。
2016年の振り返り
もう年末なので、毎年恒例(?)の1年の振り返り。今年は、仕事面がグダグダ過ぎた。中身がグダグダであっても、仕事なので1日8時間ぐらいは使ってしまう。得るものが無い割に随分と無駄に時間を浪費してしまった気がする。大したことしてなくても、時間を...


この際、自分の「なりたい姿」と逃げずに向き合うべきだろう。
ダラダラと過ごしていても一向に近づかないどころか、遠ざかっていることにも気づかない。
自分の欲求、執着を自覚しておきたい。



「なりたい自分」という言い回しを使ってしまうのは、今の自分が「なりたい自分」ではないと考えているからだ。
なりたい自分像を薄々自覚していながら、恥ずかしくて言葉にできない面もありつつ、直視できずに曖昧なまま放置している面もある。自覚と無自覚の両面が含まれている。

自覚している面

今でこそ「なりたい」の対象は必ずしも職業的なものに限らないのだが、昔は自己実現を仕事に求めていた。
今の職業「ソフトウェアエンジニア」に着きたくてなったのかと言えば、NOだ。学生の頃はなりたい職業につけるかどうかが何よりも重要だった。小学生の頃から長いことずっと、映像を作る仕事に着きたかった。漠然と映画監督になれたらいいな、と。特に特撮とかCG系の。
今思えば、「コンテンツを鑑賞するのが好き」と、「コンテンツを生産するのが好き」の区別がついていなかっただけなのかもしれないけど、映像制作に携わる仕事に着きたかった。

その夢には今でも未練がある。その執着をハッキリさせるために過去を振り返ってみる。
以下はただの思い出話です。

特撮作品への飢え

オイラが小学校に上がる前の時代、テレビでレギュラー放送されている特撮作品はとても少なかった。唯一、東映のヒーローものだけだった気がする。
ウルトラマンも総集編映画や海外ビデオ作品が中心の時代。平成ゴジラVSシリーズは始まっていたので、映画館に行けば特撮が観れたわけだが、未就学児のオイラはなかなか映画館に連れて行ってもらえなかった。
オイラが生まれる以前はテレビに特撮作品が溢れかえっていたらしいことはテレビ探偵団を通じて知った。

当時はスーパー戦隊シリーズが金曜日の夕方5:30から放送されていた。保育園に通っていたオイラは、なかなか5:30前に帰宅できず、オープニングからフルで視聴できることは滅多になかった。何となく、「特撮作品は貴重なもの」という感覚になっていった。

たまに再放送される古い特撮作品をせっせと見ていた。当時、NHKで過去のウルトラマンシリーズを再放送することがあったのだ。民放でも、土曜の早朝にウルトラマンタロウが放送されていたことがあったな。

なんとなく特撮作品への飢えのような感覚を抱きながら、小学校へ上がるとほぼ同時にその後2年間イギリスで過ごすこととなる。
イギリスにいる間、日本では電光超人グリッドマンが放送されていた。グリッドマンは帰国後に夏休みの再放送で見た。

それは特撮ごっこから始まった

小学生の頃、父からのお下がりで一眼レフカメラ ニコマートFTを譲り受けた。オートフォーカスではなかったものの、露出もシャッタースピードもマニュアルで操作できるのは魅力的だった。
特撮的なトリック撮影をやってみたくて、1度撮影したフィルムを巻き戻して多重露光に挑戦したこともあった。(ちょっと無理があった)

割と虫取り少年でカブトムシとかクワガタも好きだったんだけど、それも当時放送されていた東映のメタルヒーロー「重甲ビーファイター」の影響だったので、やはり根っこは特撮だった。

小学校高学年ぐらいからは、自分でビデオカメラを回して特撮っぽい映像を撮影して遊んでいた。最初はストップモーションアニメのようなものから始まって、だんだん操演めいたものへと移り、同級生に協力してもらうことも多くなった。同級生達とは当時流行った映画のパロディを撮ったりもした。

その趣味は中学生になっても続き、それまで撮りっぱなしだったビデオをパソコンで編集するようになった。その時触れたビデオ編集ツールがAdobe Premiereだった。
簡単な合成映像も作れるようになり、素材をいくつも重ねればかなり凝った絵面も実現できるのが楽しかった。編集次第で素材の印象が変化することを体感的に学べた。



とはいえ、この頃の映像制作は衝動的で細々としたものばかりで、ストーリーを練ってから計画的にスケジュール管理して作るようなものではなかった。長くてもせいぜい2,3分の尺。当時のパソコンのファイルシステムの制限で短い尺しか編集できなかったというのもある。
「できそう」というだけで脈絡もなく特撮ごっこ映像を作り続けた。もちろんそこに思想のようなものも無かった。

進路選択

中学卒業後の進路を考え始めた頃、すでに「手に職をつけたい」という想いが強くなっていた。
漠然と、特撮っぽい仕事に就くために必要そうなスキルを身に着けたいと思っていた。
その時考えていた選択肢は以下の3つ。

だが、代々木アニメーション学院は親に全力で止められた。(資料請求まではした)
高専の機械化を志望したのは、アニマトロニクスのような機構を自分で作れるようになりたかったから。
高校の普通科は親の勧めだった。高校を経て大学に進学し、そこで専門知識を身に着ける方法もある、と。
結局、高校と高専の願書を出したが、高専の試験の週に盛大に熱を出して寝込んでしまい、高校へ進学することになった。

模型と映像

高校生になって通学に時間がかかるようになり、使える時間が急に少なくなった。以前協力してくれていた同級生達も別々の学校へ進学し、時間が合わなくなった。
この頃からだんだん撮影をしなくなり、それまでは被写体の1つだった模型自体への関心が高まって模型雑誌を定期購読するようになった。模型制作は「1人でもできる」というのが大きかったのかもしれない。
ガレージキットの存在を知り、パテや粘土をこねて造形に挑戦し始めたのもこの頃。(まだガレージキットは買えなかった)
https://blog.negativemind.com/2014/05/17/%E9%BB%92%E6%AD%B4%E5%8F%B2/

それと並行して、テレビ録画した映像を自分なりに編集する遊びをするようになった。MAD動画のようなもの。(MADという呼び名は大学生になってから知った)
自分で素材撮影しなくなったことで、合成よりもカット編集に力点が移っていった。

この頃から模型趣味と映像編集が独立した2つの別の趣味となった。

モノクロフィルム

通っていた高校では、モノクロフィルムがタダで使い放題という言葉につられて写真部に所属していた。高校にモノクロフィルムの現像から印画までできる設備があった。印画のプロセスでフィルムのラティチュードの広さを実感した。



高校では同時に放送部にも所属していたけど、そちらはあんまり恩恵が無かった。

パソコンの自作

そして同じく高校生の頃、初めてパソコンを自作した。目的は映像制作。当時はすでにインターネット常時接続の時代に突入していたが、ひたすらオフライン作業だった。ネットサーフィンに興味はなく、当時の情報収集手段はもっぱら図書館だった。


様々なツール

この頃から3DCGに憧れを抱き、3ds Maxの廉価版的位置づけのplasmaというアプリケーションを触り始めた。独学ではツールの概念がピンと来ず、あんまり使いこなせなかったけど。
また、当時はちょうどスチールカメラの主流がフィルムからデジタルへ移り始めた時代でもあり、デジタルカメラで撮影した写真のレタッチ目的でPhotoshopも使うようになった。
この手のアプリケーションはアカデミックパックだと格段に安かった。手元に道具が充実することで、時間と手間のかかる趣味が増えていった。

2度目の進路選択

高校卒業後の進路にも相当悩んだ。
普通科でまだ手に職はついてないので進学なわけだが、特撮というかCGというか、映像技術や表現を学ぶ進路は色々あった。
今度の選択肢は以下の4つ。

毎回進路の選択肢に代々木アニメーション学院が出てくる(笑) この時も資料請求まではしたが、やはり親に止められた。
専門学校にしても、造形をやりたいのか、映像をやりたいのか、映像だとしてそれは映画の演出なのか、カメラマンなのか、CG制作なのか。細かくコースが沢山あった。
美大も学部・学科が細分化しており、どれを選べばいいのかさっぱりわからなかった。パンフレットに載っている言葉が指し示す事柄は何1つ分からなかったが、どれも華やかだったのを覚えている。

進学で身につけるべきスキルは何か

華やかなパンフレットを見ながら、自分が学生として身を置きたい環境や学生生活ではなく、自分が本当に身に着けたいスキルは何なのかを考えてみた。
オープンキャンパスで映像制作ツールの操作を体験できるところもあったが、自分が進学して習得したいのはこれじゃない気がした。
映像の表現技法やツールの使い方よりも、自分で表現の道具を作れる力が欲しいんじゃないか?(今風に言うと、映像系のR&D)
パソコン(Windows)の操作やアプリケーションの使い方は独学でそこそこ習得したけど、自分でプログラムを書くことはできなかったし、プログラムを書けるようになるための勉強方法が全く分からなかった。見よう見真似で独学というわけにはいかないジャンルだと思った。
情報系大学への進学を決めた。もちろん、情報系の大学の中でも特にCGについて学ぶチャンスのある大学。

一浪

さて、進路を決めたところで、そもそも根本的な問題が1つ。
学業そっちのけで趣味に没頭していたため、高校の成績がめちゃくちゃ悪かったのだ。特に理系科目が壊滅的だった。(一応理系科目選択はしていた)

また、高校3年の初秋、通学時に腕を骨折して入院・手術。回復のためのリハビリも必要となった。当然浪人した。
学業に関して、理系進学を選択したから浪人したかというとそうでもなく、たとえ進学先を美大に決めてたとしても美術の成績が良かったわけじゃないので、実技試験がネックになっていたと思う。

大学

1年浪人したとはいえ、志望校の合格はかなりギリギリだった。(まぐれと言っても良いレベル)
同じところを滑り止めとして受けている人もいるわけで、同じ学科内でも結構レベルの個人差があった気がする。
いわゆるCG制作を学べる授業は選択科目で週1コマだけだったが、そこで初めてMayaに触れた。授業以外の時間も使ってのめり込んだ。

大学に入って初めてプログラミングを学んだ。プログラミング系の科目は個人のレベル差がハッキリと出るため、自分が人よりも理解が遅いこともハッキリと分かった。
オイラは「アルゴリズム」というものがなかなか理解できず、必修科目なのに単位を落として再履修するはめになった。概念的な思考が苦手だった。

カリキュラムとしては有機的につながっていたのだろうが、それぞれの先生の志向は全然違っていた。クリエイターを育てようとする人、エンジニアを育てようとする人、研究者を育てようとする人、起業家を育てようとする人。
とはいえ、卒業生はエンジニアとして会社員になる人が大半で、大学院への進学率も低かった。


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職業体験のハードル

大学生になったら職業体験いわゆる「インターン」というものをしてみたいと思っていた。もちろん映像系の仕事で。
少し調べてみると、多くの場合、インターンは大学3年生を対象にしているらしい。理由はよく分からなかったが、そういうものなのかと思って大学3年まで機会を待った。
大学3年生を対象とした夏のインターンの合同説明会というものに参加してみた。そこでインターンを募集していたのは大手企業ばかりだったので、映像系と言えばテレビ局ぐらいだった。後々になってこれが新卒採用プロセスの一部であることを知った。

「インターンのエントリーシート」なるものを提出して、書類選考・面接を経てインターンの採否が決まるという。苦心して書いたエントリーシートだったが、全て書類選考で落ちた。人から選ばれる方法がまるで分らなかった。何も得られず、時間と労力だけが奪われた。

就職活動

それから半年後、もう就職活動を本格的に始めなければならない時期。就職活動が3年生から始まるなんて思ってもみなかった。(じゃあ大学4年生って一体なんだ?)
よく分からず、またスーツを着て合同説明会に行く。「滑り止め」のような考え方も必要な気がしたが、そもそも大学受験と違って難易度の違いが数字になっていない。どこが安全圏なのかわからない。

個々の説明会にも参加して、少しずつ業界・職業を捉える解像度が上がっていくほどに、自分が思い描くような仕事は新卒未経験を募集していなさそうであることが分かってきた。どこで経験者になれば良いんだろう。まずは周辺の業界に身を置くとか?
気づくと、ただ藁をも掴むような想いで近い業界・業種にエントリー・選考を繰り返していた。就活にどんどん流されていった。

不思議なことに、希望に近い業種ほど面接官の印象が悪かったのを覚えている。容姿が悪いという意味ではなく、態度や発言がとても威圧的で下品だった。多くが「才能」という言葉を振りかざしていたのも少し引っかかった。
ずっと威圧されている状態がしんどくて、あえて会話を破綻させて早々に切り上げたこともあった。何がしたかったのか自分でも分からなくなり、面接後に泣いてしまった。

いつのまにか身を投じていた就活はとてもしんどかった。職を得ることがこんなにも能動的なプロセスだとは知らなかった。そして、誰からも必要とされない自分の存在が辛かった。
「学歴よりも人物重視」というふれこみの採用方針が多かったこともあり、人間性が否定され続けているような感覚だった。

逃げるように進学を決意

結局、内定どころか最終面接に進むこともなく、ただ消耗しただけだった。
社会から逃げるように大学院へ内部進学することに。進学を勧めてくれた両親には本当に感謝している。大学・大学院と、同じ学校に6年もいるなんて小学生みたいだ。
学業の成績が悪かったので、推薦ではなく試験を受けた。面白いもので、推薦枠が取れるような成績優秀者は大体学部卒で良いところへ就職が決まっていった。

大学4年~大学院

こんなに消極的な理由での進学は初めてだったが、進学を決めたことで心のゆとりを取り戻せた。実際には就活までの時間的猶予が2年付いただけではあるが。

大学4年生は時間の自由がきく。同級生と動画作品を制作し、コンテストに出したりできた。
卒業研究は苦しくもあったが、時間をかけて自分の考えを追求し、徐々に研ぎ澄まされていく感覚は楽しかった。元来独学や追求が好きだったこともあり、研究という活動が性に合っていた。
大学4年生になって初めて時間的裁量の活かし方を知った。

消極的な理由ではあったけど、進学したからには大学院で吸収できることをなるべく多く得ようと、大学院性の割にやたらと授業を取っていた気がする。
授業を沢山とってもなお、時間的な自由は学部3年生までとは比べ物にならないほど大きかった。また、たとえ1週間ぐらい学校へ行かなくても大してマイナスなことは無いと分かった。
授業を休んで会社見学へ行ったり、1週間SIGGRAPH Asiaのボランティアスタッフをしてみたり。かなり自由に活動できた。

2度目の就職活動

2年の猶予の間に、エントリーシートに記載できそうな活動・エピソードも増えた。(というか、たぶん普通に大学4年生を経たら増えるんじゃないだろうか)
しかし、学部卒の時とは違い、応募できる入り口は特化し、狭くなった。学歴学科不問で2年前は応募できた職種も年齢制限に引っかかるようになった。
「学歴」という言い方はやや角が立つかもしれないが、学業を通じて身につけたスキルを全く殺すような異分野の仕事にはもう就けなくなった。

さすがに2度目となると、前回の反省を活かしてやや戦略的になる。
そもそも、インターネット時代の就活では、簡単に複数の企業へエントリーできてしまうため、絞り込み指向で考える必要がある。情報の収集・フィルタリングというプロセスを学生が担うべきではなく、最初から限られた範囲からさらに数を絞ることで1つ1つ確度を上げる必要がある。
「隠れた優良企業」なんてものを学生が時間と労力をかけて発掘してやる義務はないのだ。優良企業の癖に埋もれている方が悪い。

最近見たこの記事の学生はかなり上手い就活をしていると思った↓
https://anond.hatelabo.jp/20171231003458

1度目の就職活動では意識していなかったが、理系の大学・大学院の場合、企業へのエントリーには学校推薦というもの使うのが一般的だということを知った。1度目の時に意識していなかったのは、行きたい業種・業界に推薦枠がなかったから。さらに言うと、推薦枠に入れるほど成績も良くなかった。

2度目の就活では学校推薦を滑り止め的に取っておき、まずは志望の業界へ自由応募で再挑戦した。しかし、またしても志望度の高いところはあんまりこちらの話を聞いてくれなかった。人間的な相性の悪さなのだろうか。

会社員

結局、滑り止めのつもりだった会社以外の選考は通らず、就活の時期になるまで名前も知らなかった会社に就職した。
配属で「研究開発職」と言われ、研究者になったのかと錯覚していたが、「研究開発」という言葉は「無計画」を言い換えただけだと後に気づいた。自分が思っているよりももっとずっと、言葉が雑な意味で使われていた。それまで、言葉には絶対的な意味があると思っていたが、会社員を続けていくうちに、集団の中で使われる言葉というのは、相対的に意味が割り当てられていくものだと知った。

オイラはただのソフトウェアエンジニアだ。

仕事で身についたスキル

配属も割と大雑把で、CGと画像処理の区別がついていない職場だった。
自分が大学・大学院で学んだCGの専門性なんてものはもちろん理解されないし、画像処理にしてもアルゴリズムへの理解云々よりも、既存のライブラリを組み合わせる実装力が重視された。それに抗うこともできず、要求されるスキルを習得していくしかなかった。OpenCVなどに触れるようになったのはこの頃から。

学生の頃はプログラミングにやや苦手意識があったのだが、1日中やっていれば嫌でもプログラミングスキルは上がっていく。要求されることに応えれば、ますます画像処理・画像認識のエンジニアとして扱われるようになっていった。
「君は開発に向いている」と言われたこともあったが、それはそれで辛かった。目指してなったわけじゃないし、好きでやっているわけでもない。好きでなくても続けていれば及第点は取れるようになるのは理解した。

いつのまにか、大学・大学院以上に長い時間を同じ会社で過ごしてしまった。自分は何になっていくのだろうか。

就職する前と後で大きく違う点

ここまで長々と振り返ってみて気づいた点として、当然と言えば当然だが、就職前と後で行動の原動力が大きく違っている。

就職前

就職前は、進路選択でも分かる通り、目指す夢「映像の仕事」からの逆算で考えるから選択肢が沢山あった。そして、その都度「独学しづらいもの」≒「遠回りな道」を選んできた。それは相手から見ても要求しているスキルから遠いのである。

就職後

就職後は、相手の要求にダイレクトに応えていたため、本来の自分のスキルの薄い分野であるにも関わらず、エンジニアとして信頼されるようになった。そんなに高等なものは求められておらず、相手のシンプルな要求に応えられれば良いのだ。
そのまま費やした時間が積み上がってキャリアとなり、今の自分を規定するようになった。

大多数の人達の視点・尺度

「人はアウトプットでしか人を評価しない」ということに尽きるが、自分が思っているよりもずっと、大多数の人はオイラのアウトプットの質に執着しないし、オイラが思っている以上に雑な解像度で物事を捉えている。
そこに長い間抱いた夢とかビジョンなんて関係ない。自分が何者であるか、何を目指しているのかなんて誰も興味が無い。自身の要求に近いものが目の前に現れれば満足する。

過去のオイラの進路選択の判断基準はあくまで自分で考えた尺度に基づくもので、他の大多数の人達にとっては遠回り過ぎて意味のわからないものだ。しかもその途中経過を評価できる人なんているはずがない。
自分の尺度で割り算して個々の構成スキルへ分解していったつもりだったが、単純な足し算で積み上げ続けた方が他人にも分かりやすいということなのかもしれない。
相手の尺度から見ても分かりやすいアウトプットが無ければ選ばれないということをやっと理解した。

自分はどうなりたい?

長々と語ったが、話を「なりたい自分」に戻す。
オイラはまだ「映像を作りたい」という欲求が消えておらず、それは「趣味で作りたい」というよりは「生業にしたい」という欲求に近いのだと思う。1日のエネルギーの大部分をそれに注いでいたい。あまりにも長いこと夢見てきたせいで、執着が強くなってしまった。

「映像を作りたい」はもちろん広義の意味で、その中にはストーリーテリング、デザイン造形、演出などやることが多岐にわたるが、それらを横断的にやってみたい。「作家」と言うと大げさだが、自身が考えたこと、作ったものをアウトプットする仕事をしたかった。
その根底には、自分が見聞きして得た考えを映像作品という形にデフォルメしてアウトプットしたいという欲求があるように思う。

今の自分にできること

「映像制作を生業にしたい」という想いを叶えるために、今の自分にできることは何だろうか。今すぐ脱サラしてクリエイターになるか?もちろん違う。

今からやるべきなのは趣味としてオリジナルのアウトプットを増やすことだろう。今まで模型趣味でやってきたように。



今までの模型趣味では既存のキットの組み立てばかりでオリジナリティは無かったけど、3Dプリンターでオリジナルのフィギュアを作ったこともあった。
CGから3Dプリント (クリミア・エンゲルス)
近年流行りの3Dプリントサービスを利用して、ZBrushでモデリングした怪人っぽいキャラクターを3Dプリントしてみた。このページは3D出力物を模型として仕上げるまでの記録。DMM.Makeの3Dプリントサービスを利用し、この3パーツの出力費...

アウトプットの形態

さてそれはどんなアウトプットか?
模型のように物理的な作業が絡むとどうしても1つのアウトプットに時間がかかってしまうが、1枚の絵でバックグラウンドのストーリーも想起させるようなコンセプトアートみたいなものならもっと短いスパンで作れる気がする。勝手な連載企画だと思えば良いか。
あんまり、1つの大作を完成させようなんて考えない方が良い。コンスタンスにアウトプットを続けることが第一。連載だ。

過去を振り返ってみて、オイラはちょっと物事を小難しく考えて複雑に分解してしまう傾向が分かった。
自分の尺度ではなく、相手の要求に近い尺度でアウトプットを重ねられるようにならないと。人気のある人のやり方を模倣するってのが一番手っ取り早いだろうか。

コンセプト映像を1カット

絵だけだと映像に繋がらないから、コンセプトモデリングやイメージボード的に「コンセプトカット」ってことで作ってみるかな。(パイロット映像?)
よく考えてみれば、中学生の頃に作っていた特撮動画はそれに近いわけだし。

制作のタイムスパンはとりあえず1ヶ月に1本ペースを目指してみよう。月末締め切りにして、今月は手ごたえを把握するために制作期間短めで。

他にもやってみたいことは色々あるけど、あんまり増やすとまたどれも手につかなくなってしまうからまずは1つ。


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