映画館で流れてた予告編(特報?)で興味がわいたので、映画「ダウンサイズ」を観てきた。原題は”Downsizing”
http://downsize.jp/
人口増加や資源不足を人間の縮小で解決するという設定がウルトラQの第17話「1/8計画」とそっくりに感じたので。
今YouTubeで見れる日本版の予告編では「1/8計画」とだいぶ印象が違うけど、そっちの方がこの映画の実態に近い。
「1/8計画」と似た設定のSF的ディティールの描写はあくまで導入だけで、この映画の本筋は別の方向へ進んでいく。ジャンルとしてはコメディの部類に入るんでしょうか。
舞台設定が「1/8計画」と類似している点については当然他でも指摘されてる。↓
http://ascii.jp/elem/000/001/641/1641868/
http://www.sankei.com/entertainments/news/180317/ent1803170001-n1.html
SF的な題材そのものが映像の見せ場になっている映画ではないので、映画「ミクロキッズ」のようなパニックアドベンチャーを期待すると大きく裏切られます(笑)
身体の大きさを変える系SF設定を実写で描くと生理的にグロテスクな側面が目立ちがちだが、本作では「人間を縮小できる」という1つのイノベーションがもたらす社会の変化をブラックユーモア的に描きつつ、徐々に主人公の小さな物語へとフォーカスしていく。「人間の縮小」は風刺劇の舞台装置。
マット・デイモン演じる主人公はエリートでもヒーローでもない、ただ挫折を繰り返してきた男。劇中のセリフを借りれば「人は良いが憐れな奴」
そんな主人公にとって、「ダウンサイズ」は地球の環境問題を解決する選択というより、自身の生活のための引越しや転職のようなライフイベントの1つという体感に近い。
1度身体を縮小するともとの大きさには戻れないという不可逆性も、人のライフステージの変化と似ている。家族との関係、職場、近所づきあい、そういうのって小さな選択で変わっていくし、引き返すことはできない。
地球規模のスケールの変化の脇で、主人公は大きく成長して英雄になるわけでもなく、彼の身の丈で人生を歩んでいく。
よくよく考えてみれば、人間は共に暮らす身近な人達によって自分の身の丈を認識するもの。絶対的な大きさなんて重要ではないのかもしれない。
劇中で、「人を小さくしたり火星へ行ったりできるのに私の病気は治せない」的なセリフがあったけど、マット・デイモン主演の映画「オデッセイ」にあてたネタですかね。
公開時期が「ブラックパンサー」や「シェイプ・オブ・ウォーター」といった話題作と重なっているから、本作「ダウンサイズ」あんまり注目されなそうな感じではある。
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