今年も1年の振り返り。
2022年はコロナ禍3年目。ウイルスから逃げ隠れする生活を始めてからもう3年。つまり自粛しているうちに3歳も歳を重ねようとしている。
オイラはリモートワークしやすい職種だから引き続きリモートワークしているけど、世間的一般ではかなりコロナ前の働き方に戻っているのだろうか。多くの人が未だにマスクをしてはいるものの、今年は緊急事態宣言も蔓延防止等重点措置も発令されておらず、飲食店の営業にも制限が無くなったようだ。
今年は、リモート越しに接していた同僚達の多くがコロナに感染した。ワクチン接種が進んだおかげなのか重症化した人はおらず、せいぜい高熱と咳程度の症状だったようだ。コロナ禍初期とは違い、感染=死というわけでもなくなってきている。
オイラは未だにセルフ自粛のような生活で、1度も感染せずに済んでいる。しかし、行動制限によって失った時間・チャンスもあるような気がしてきた。意識的に、お金をかけてでも「経験」を得るために行動しないとまずいのではないか。空っぽのまま年齢だけ重ねてしまう危機感が強い。
仕事
在宅勤務の経験が一巡して、ある種の慣れ、悪く言うと「だらけ」が出てきた。行動で言うと「サボり」である。完全なプライベートスペースがすぐ横にある環境で自分を律するのは難しい。もともとオイラは責任感ではなく執着心で仕事を進めるタイプなので、興味関心が薄れると強制されたところで上の空になりがち。
家で仕事するために自分で整えられることももうだいぶ限界で、これ以上の環境を求めると引越すしかない。しかし、生活空間が仕事に奪われていく苛立ちもある。仕事の隅でコソコソと生活しているような居心地の悪さ。
今の会社に入社して2年経った。今年の仕事での目標だった「外部に公開できる実績を作る」は一応達成。在籍2年で実績1つは良い方だろうか。
キャリア
今の職場で2年過ごしてみて、自分のキャリアについて考えることが増えた。酷い職場だとハッキリと気づき、ここに長居するのはマイナスだと思い始めた。
上長やベテラン勢は初対面映えする態度や物言い、つまりマウントを取ってくるのだが、仕事で実際に接してみると驚くほど何のスキルもなく空っぽだった。
自信
転職して酷い職場に来たことで、逆に以前勤めていた会社での経験を肯定できるようになった。
新卒入社から10年弱勤めたファーストキャリアで得た知識と経験は今でもかなり役立っている。以前の職場は学ぶ機会が多かったのだと気づかされた。以前の職場で経験したことの類型で対処できることが多い。
前の会社に勤めていた頃は、1つの仕事を長く継続できないことが悩みだった。だが、一定期間ごとに仕事内容が変わってきたことで経験の幅は広がったし、色々なパターンを知ることができた。異なるフェーズの仕事を経験できたことで、今どの段階にいるのか、何を目指せば良いのか判断できるようになった。
仕事の引き出しが増えたと言える。
2種類のアウトプット方法
違う職種・専門性を持った人達と協働する機会もあり、他人の力を借りるためのコミュニケーション方法を学べた。結果として、オイラは2種類のアウトプット方法を使い分けられるようになった。
- 自分の専門技能を使ったアウトプット:自分でプログラムを書いて仕組みを実証すること。
- パワポ、図・イラスト、動画など駆使して、間接的にゴールイメージや意図を伝えること。
目指す最終アウトプットの規模、関係者の人数、スケジュールに合わせて、これら2つから最も早く手間の少ない方を選べるようになった。特に、規模の大きい、様々な専門性を持った人達を必要とするプロジェクトでは2がとても重要だ。「パワポをいじっているだけの仕事」に嫌悪感を抱いた時期もあったものの、多くの人の力を借りるにはかならず2のスキルが必要なのだ。
2ができないと、計画段階で専門家として意見することができず、どんどん仕事がやりづらい状況に陥る。1しかできないままだと最終工程にしか関われず、結果として、前肯定のあらゆる歪みを引き受ける「尻拭い」のような仕事しかできなくなる。
計画段階のコミュニケーションに参加させてもらえず、無計画のしわ寄せを後工程に押し付けがちな今の職場で実感する。
ファーストキャリアの影響
そして、後にどれだけ長く多くの経験を重ねても、キャリアの最初の頃の経験の影響が強く残るものだと同僚の働き方を見て実感した。
キャリアの最初の頃で評価された働き方が身体に染み付き、昔とは役割が変わっても同じ働き方を続けてしまう。ファーストキャリアでレスポンスの速さを評価された人は、その後もずっと即レス第一な頑張り方を続ける。個人で完結する仕事ならそれでも良いのだが、チーム戦でレスポンスの速さをアイデンティティにするには、「頑張り」ではなく「仕組み」が必要だ。
もっと言うと、そこそこキャリアを積んだ人間には、応答の速さよりも「思考」を要求される割合が高まる。
知的労働のマネジメント
前の会社の最後の部署でもなんとなく感じていたが、知的労働には「急かしても頭の回転は速くならない」性質がある。
知的労働のマネジメントでは、急かして間に合わせるのではなく、重要なことを見極めて他を削ぎ落とすことが重要だ。そのためにも、物事の依存関係を把握できていないとマネジメントは務まらない。急かしてできるのは「思考の放棄」だけで、雑な思考でアウトプットの質が下がる。マネジメントでできるのは、放棄するものを決めてあげること。何も削ぎ落とさずにただ急かすだけだと、長時間労働で対処するしかなくなる。
多くの社会人がファーストキャリアで「ボールは長く抱えず、即パスを出す」よう教え込まれる。だが、これは任される仕事がすでに最小単位まで分解済みである、末端の仕事という前提が隠れている。
知的労働は「ボールを長く抱える」ことで価値を生む行為だ。ボールを長く抱えた人の思考がアウトプットの質に大きく反映される。
下っ端仕事以外で「ボールは長く抱えず、即パスを出す」が要求される仕事は、悪く言うと「依存関係が整理されていない」状態で、チームスポーツの振る舞いをそのまま持ち込んだような職場だ。システム1の思考モードで支配され、皆が反射的に動くことを要求される。「熟練者ほど反射的に的確なアウトプットが出せる」という、長らくルールの変わらない業界や職種なら通用するやり方。
オイラが専門とするソフトウェア分野は、論理を積み上げて作り上げるものなので、システム2の思考モードを意識しないと破綻してしまう。
不安
自分のこれまでのキャリアを肯定できるようになった反面、将来のキャリアへの不安は増している。
今の職場で学べることが少ない。「オイラが学びたいことを学べない」と言った方が正しいか。今の職場での仕事に専念するほど、流行りの技術(AI系)からは遠ざかってしまうし、専門性以外のソフトスキルを習得しようにも今の職場にはお手本がいない。
今の環境に長くいるほどに、他で通用しない人間になってしまう恐怖。自分が理想とする仕事へ移るウリとなる実績を積むことも難しい。
転職を見据えて
他でも通用するポータブルスキルを少しでも積み上げたくて、11月から英会話のグループレッスンを始めた。人間関係を少し広げたい欲求も大きい。
来年から今の職場で3年目となる。入社した当初から「3年ほど在籍したら転職しようかな」ぐらいに考えていたが、たった3年で履歴書を大きくレベルアップさせるのは難しい。
次の1年は転職活動も本気で考えた方が良い。興味のある技術分野の勉強はしておくべきだし、労働時間内にどれだけ利己的な勉強に時間を使えるかが重要になってきそう。
ここ数年、技術書や仕事術的な書籍はほとんど読まなくなったけど、今の職場を観察することで無理矢理何かを学び取ろうとしている。この環境だから学べることをなるべく吸収して、次のステップへ進みたい。
仕事以外の自分は?
オイラは仕事以外の人間関係が希薄というか皆無なので、仕事以外の尺度で自分を測ったことがない。仕事ではそこそこ及第点のつもりでいるけど、仕事から離れた自分は人間的にどうなのだろうか。仕事の損得抜きで他人と関係を作れるだろうか。
仕事と少し離れた人間関係を作って相談できるようになりたい。
生活
仕事がリモートワーク中心なのもあり、ここ1年で生活がどんどんだらけていった。お風呂に入らない日が増え、昨年よりも水道代がかからなくなった(笑)
電気代が値上がりしていて、今後さらなる値上げが予告されている。でも冷暖房を我慢すると目に見えて体調が悪くなるのでどうしようもない。
運動不足が酷く、健康診断の結果がかなり悪くなった。初めて2次検査を受けた。要するに運動量に対して食べ過ぎらしい。昼食をほとんど食べない1日2食生活なのに。コレステロールを気にするようになり、卵を食べるのを控えるようになった。安くタンパク質を取れるので便利だったのだが。
今年は今まで行きつけだったスーパーが閉店してしまい、買える食料品が変わって食生活も少し変化した。
スポンサーリンク
資産運用
前の会社の退職金を使って始めた米国株式投資が結構マイナスになってしまった(笑)
自分で個別の銘柄を選ぶのはあまり得策でないと勉強にはなった。不労所得を得るのは難しい。とりあえず、積み立てNISA枠を利用した投資信託は今後も継続していこうと思う。
アウトプット
漠然と「作家活動をしたい」と思いながら、結局まともにできないまま1年が終わってしまった。過去のブログ記事を再編集したnoteを投稿した程度だ。
模型
昨年から模型制作に取り組む気力が無くなってきていて、プラモデルのパチ組み(仮組み?)までで放置して別のキットに手をつけることが増えた。
パチ組みしたキットは多かったものの、今年は塗装作業を一切しなかった。
ガレージキットもまだ積みが沢山あるものの、ガレージキットを完成まで持って行く気力が無い。説明書通りに組むだけでそこそこの完成度になるバンダイのプラモデルのすごさ・有り難さを実感した。
ZBrush
ZBrushで衝動的に作り始めたものはいくつかあったものの、それは昨年一昨年もやっていて、どれも完成していない。ブログに制作記事を書くのも面倒で、作業履歴動画をYouTubeにアップしただけのものもある。
その他
プライベートでアプリを作り始めたのは例年に無かった行動かもしれない。
今年は機械学習による画像生成の進化が凄まじく、手軽に試せるWebサービスやオープンソースのプロジェクトを自分のローカル環境で動かして遊んだりもした。
生成された画像がカッコ良かったので、生成画像をデザイン画としてZBrushで3D化してみたくなったものの、チンタラ3Dモデルを作っている間に直接3Dオブジェクトを生成する手法の精度が高度化してしまいそうな勢いも感じる。今年の生成系技術の進歩はそれほどに速かった。
こうして並べてみると、アウトプットの数自体は割と多かったかも。その割に体感的な充実感が得られていないのは何故だろう。どれも完成していないのと、オリジナリティが無いからだろうか。それとも反響が無いから?
どんなアウトプットなら自分の気持ちが満たされるのか、自己分析してみた方が良いかも。
仕事で発散・作り散らかせないストレスを、プライベートでぶつけている節はある。仕事では労力を上手く収束させて効率良く成果に繋げるよう意識しているが、その意識自体が自分の性格に反していてストレスなのかも。自分が直接コントロールできる範囲で手を動かして、得た気づきを思考に反映したい。
2022年の各振り返り記事を振り返る
毎月の振り返り記事を書く労力を減らしたくて、今年は効率的な執筆プロセスを色々と模索した。1年かけてそれなりに効率的な方法に辿り着いた気がする。
iPhoneのメモ帳に日々記録した散文は、一見雑多なように見えて時系列で緩く関連があり、時系列で並べてからグルーピングすると割と整理しやすいと分かった。iPhoneのメモを1週間ごとに1つのmarkdownファイルに転記して、1ヶ月分(4〜5個のmarkdownファイル)をVSCodeで編集しながら各章立て(仕事、生活など)ごとにまとめるスタイルに落ち着いた。
やってみると、やはり仕事絡みの雑感(愚痴)の文量が多く、整理するのに最も労力がかかっていた。だんだんと、仕事の振り返りを書くのを後回しにするようになった。
仕事への興味がどんどん薄れ、仕事のストレスについて整理することすらだんだん敬遠するようになった。そのせいか、例年よりもその時々に視聴しているコンテンツの話題が多くなった気がする。
9月辺りはつい最近のような感覚だ。
時間をかけて言語化するストレス対処法は学びに転化しやすい実感があるものの、瞬発力は鍛えられない気もしている。何でもかんでも時間のかかる対処方法へ持ち込んでしまう。
元来、オイラは言葉を扱うのが苦手な人間で、言葉で思考できるようになったのがだいぶ遅かった。高校3年生ぐらいでやっと少しできるようになったぐらい。
1人で時間をかけて言語化していくのも大事だが、人との会話を通じて己を理解する方法もある。オイラはその経験が乏しいし、職業柄交友関係が広がりにくい。
2023年の抱負
今年の状況を踏まえて来年の目標を立てる↓
- 継続可能な作家活動を模索する
- 経験を得る行動を増やす
- 転職活動を始める
- 運動習慣を取り戻す
多過ぎるような気もするけど、この目標のためにまず大きな時間の使い方を見直して行きたい。今よりもさらに労働時間を減らして、平日に個人的な活動ができるようにしたい。曜日単位で何をする日か決めておけると良いかもな。大きな予定を先に配置しないと時間をうまく使えない。
スポンサーリンク