5月も終わり、2021年もそろそろ折り返しなのか。意外と早い。
4月25日から3度目の緊急事態宣言に入り、そのまま5月はゴールデンウィークから始まった。昨年と同様、自粛のゴールデンウィーク。
そして、当初5月11日までの予定だった緊急事態宣言は結局5月31日までに延長され、5月はずっと緊急事態宣言だった。(その後さらに延長されて6月20日までとなった)
今年の7月に東京オリンピックを開催するのかしないのか、まだハッキリ決定されていない。
高齢者へのワクチン接種は始まったようだが、オイラがワクチンを打てるのはいつになるやら。今年中に打てるのだろうか。
昨年の5月はリモートワーク経験1ヶ月を超え、リモートワークのメリットやストレスが見え始めた時期だった。今は去年とはまた別種のストレスを感じ始めている。些細な事でストレスを感じやすい性格なのだろうか。
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仕事
5月は1度も出社しなかった。ゴールデンウィークで1週間ほど休みだったのもあるけど、1ヶ月丸々出社せずに在宅勤務したのは初めての経験。つまり、その場にいる人となんとなく雑談する機会も無かったわけだ。雑談は仕事の進捗を共有していない相手とじゃないと気兼ねなく切り出せない。
出社する日が無いので、毎日在宅勤務の生活サイクル。始業時間ギリギリに起きるのが習慣になってしまった。
仕事をしてるとはいえ物理的にはずっと家にいるわけで、今の仕事への慣れもあり、刺激が無くなってきた。あまり集中できず、以前よりもダラダラと休憩が増えた。5月病かな?
4月から人員が増えたおかげで、業務の難易度や負荷を相対的に測りやすくなった。これまではオイラ1人に任されたタスクの難易度が高めだったとしても1人で抱え込んで落ち込みがちだったのが少し軽減された。勝手に自分を追い込んでしまいがち。
言われたことが理解できないのは自分の知識不足だと思っていたけど、単にその発言に至った経緯や意図を省略され過ぎているだけの場合も結構あると気づいた。
自分の思いついたことがベースにあって、それに必要な情報を要求しているとしても、その「思いついたこと」の説明が無さ過ぎるとどこから説明すれば良いのが見当がつかない。
これまで業務の全貌がよく分からなくてほとんど言われるがままのやり方で対処していたけど、ここ5ヶ月でだいぶ業務の全体像が見えるようになって、自分なりにやり方を工夫できそうな面も見つかり始めている。
これまで言われたことについて違う意見を提示できそうなので、これから業務で少しずつ「反論」して自分なりのやり方や目標設定をしていきたい。
入社してからずっと1番密に接している同僚の優秀さが上長からはあまり評価されていないようだが、それはオイラがその人の仕事の中身(ソースコードの量や複雑さ)を直接見ているのに対して、上長は会話や最終アウトプットしか見ていないからだろうか。かかった時間と最終アウトプットだけでは、過程の難易度は伝わらない。
攻撃的な感情
協働している他社の担当者の対応に「舐められている」と感じて少し攻撃的な思考になってしまった。だからと言って攻撃したりはしないけど、オイラは感情が攻撃的になることが割と良くある。些細なことで「イラつく」わけだが、他の人達はいつもとても穏やかに見える。上手く抑えているのか、それともそんなに気にしていないのか。いつも穏やかな態度を保っていられる人達と働けるのは幸運だ。
言語化
転職してから使い始めたノートをもう半分ぐらい消費した。会議中のメモ(と愚痴)や、プログラムを書く前に構造を図示して考えを整理するのに使っている。
ここ数年、いったん書き出さないと頭の中を全然整理できなくなった。言語化したり、プログラムに書いたり、自分のアウトプットを眺めて修正してやっと論理性を保っていることに気づいた。
もともと整理されていなかったのを自覚できるようになったのだろうか。毎日スマホのメモで記録をつけている影響もあるのかな。頭に浮かんだ言葉をなるべくすぐに書き留めたいと思うようになった。
頭の中で、自分がドキュメンタリーの主役になってインタビューされている様を妄想して、言語化の訓練をしている。
言われたことだけしかやらない?
仕事において「言われたことだけしかやらない」という姿勢はマイナスに思われる傾向にある。だが、「言われてもいないことをやる」のがプラスに働くことは稀だ。
「言われたことをやる」のだって結構スキルが必要だと思う。言われたことをちゃんと汲み取る能力、あるいは曖昧な言動を解釈してタスクに分解する能力。的確な指示が得られる場合の方が少ない気がする。
指示する側の立場、つまり強い立場になると、自身の伝え方の上手い下手を問われることが減り、受け取り側の非に転嫁できるようになる。
年功序列の会社だと、指示する側に回るチャンスが(ある程度)平等に与えられる。
その仕組みの中では、手早く「仕事してる風」の態度を身につけ、しばらく過ごすと後輩にやらせる側になり、他人のせいにしやすい立場に収まる。「仕事してる風」をいかに速く習得できるか、でその先の立ち回りが決まっていく。
このコロナ禍で、先輩達の「仕事してる風」を見れなくなった新人達が今後どうなっていくのか、純粋に興味がある。
会社を移って感じること
前の会社での体験と比べることで、今自分がおかれている状況をある程度相対的に測ることができる。
前の会社と比べて、今の会社で仕切っている人達が特別優秀とは思わないけど、成果を上げるための権限が仕組みとしてちゃんと備わっている印象。人材採用も含めて必要なリソースを集めるハードルが低く、成果を上げやすい環境だ。
そこで気づいたのは、成果主義と実力主義はイコールではない、ということ。オイラが「実力」と捉えているものが「成果」とあまり関係無いという気づきでもある。
リソース選択の権限が十分にある環境において、成果を上げる方法は「選択」である。より目的に近いリソースを選んで採用すること。この環境で「成果を出せる人」は、別に的確な指示ができる必要もないのだ。
人材採用の観点では、詳しい人を呼べば勝手に目標を分解して精緻な方法を選択してくれるし、必要な道具も勝手に選んでくれる。「難易度」の尺度を自分達基準で測る必要はなく、それを得意だと感じる人を集めれば良いのだ。
前の会社では、固定された人員となけなしのリソースをやりくりして「何を諦めるか」ばかり考えていた。
目的に近づくために優秀な下部を揃えられるなら、指示する立場の人が変化する必要はない。仕組みが違うとこうも違うのか、と。
経験値
自分の興味のある業務とは関係なく、過去に長く経験した業務から得た経験値が意外と積み上がっていることに気づいた。
前の会社で何度か異動を経験したことで、違う技術分野、違う業界と接する訓練を積めていたのかもしれない。それはジェネラリストのスキルで、コミュニケーションのギャップを埋める係。
自分の意志と関係なく、おかれた環境で経験値が勝手に積み上がるということは、自分が蓄えたい経験値が貯まる場所に身を置かないと「なりたい自分」からどんどん遠ざかっていくということでもある。
オイラは特定の専門分野ピンポイントのスキルが全然積み上がっておらず、「伝える」ことにばかり労力を割いてしまった結果、認識が雑な人からしか評価されない人間になったのだな。
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報告に割く手間
キャリアを重ねるに連れて、実際に作ったり動かすこと以上に、今何が起きているかを多くの人に説明する方に手間をかけるようになった。
前の会社の退職間際はほとんどそういったコミュニケーション業務しかしていなかったので、仕事の実態としてはあまり進んでいない状態だった。報告に注力した方が上司から評価されやすい。中間管理職はさらに上に説明する責任があるので、流用できる材料を渡すと重宝される。
組織は力の強い立場の人が快適に過ごせる方向へ動いてしまう。
業務時間全てを「作る」に全振りしたい気持ちもあるけど、その結果蚊帳の外扱いされて意思決定に関与できなくなり、勝手に決められてしまうリスクが伴うのだ。
先月も書いたように、「指示する係」と「作る係」が分離した構造だと「作る係」が後手に回って割を食いやすい。だが、ソフトウェア分野は開発すること自体が知的作業だから、開発者の側に知見がどんどん溜まっていく。その知見が「指示する係」に上手くフィードバックされないと、だんだん見当違いの方向へ組織が動いていく。
コミュニケーションにおいて、オイラは全ての情報をなるべく正しく伝えたいと思ってしまうからしんどくなるのかも。
情報が上手く伝わらないのに、相手はどんどん距離を詰めてくるストレス。伝わらない分それ相応の距離を保ちたいと思ってしまう。雑な理解でズカズカと踏み込まれると、どうやって返答しようか悩んでフリーズしてしまうのだ。遠くにいれば気にならないのに。ストレス無く過ごすために疎な関係を維持したくなる。
リモートワークに感じること
リモートワーク時代、場所を選ばずどこでも働けるとは言っても、環境を整えればもっと生産性は上がると分かった。
1年前、リモートワークし始めた頃はまだみんな慣れていなくて「生産性が下がってもしかたがない」と言い訳が通じていたが、もうそれが日常なので、各自が生産性を維持する工夫をしなきゃいけないようなプレッシャーがある。(オイラの思い込み?)
オイラが前の職場でせっせとパワポ資料を作っていたのは、「サボっている」と思われたくなかった面もある。経過した時間にアウトプットの量が比例するような方法を選んでいた。
従来コミュニケーション能力と呼ばれていたものは人と接しないと身につかなかったが、それも時代と共に変わっていくかもな。AIとのやりとりで身についたり、そもそも人と直接やりとりする時代じゃ無くなるかも。
ライフステージ
リモート会議をすると、嫌でも他の人の家庭環境が垣間見える。映り込む部屋や、時折聞こえる地域の音、家族の声、生活音。
自分と他の人達の生活の違いを実感する。
昔は、稀有な道を歩みながらもライフステージは人並みに上がって行くとなんとなく妄想していたが、実際には普通の道を歩み、ライフステージは登れないままだ。平凡なキャリアの割に、人並みのライフステージを進めない平凡未満な人生。
生活
気温が上がってきて、薄着で過ごすようになった。さすがにもう足元のヒーターも片づけた。
土日は長く寝てしまう。休日に活動する気力が無い。もう年齢的に、元気がある時なんて来ないのかもな。
年齢と共に気力の総量は減っていくのかもしれない。あるいは、気力の消費量が増えてしまうのか。生活のために気にしなきゃいけないことに気力を奪われているのかも。
ここ1年で生活スタイルが変わって、新たに色んなものを購入して、逆に使用頻度が下がったりほとんど不要になったものも多い。そのしわ寄せで、片付いていないまま放置していることが溜まっている。
ほとんど現金を使わない生活になり、銀行口座の残高変化が月末付近だけに集中するようになった。なんとなく退屈だ。
食事
外出しないので、食事もずっと家で摂っている。インスタント食品ばかりなのは流石に飽きてきたけど、食事の準備に手間がかかるのは嫌なので、冷凍のカット済み具材を買い置きしてその都度組み合わせるやり方に落ち着きつつある。
少し遠くにある業務スーパーに行ってカット済みの肉や野菜を多めに買ってストックするようになった。冷凍庫がパンパン。
レトルト食品よりももっと具がゴロゴロ入った食事ができるようになって、少し満たされる。
電子レンジ料理
もはや意地でも火は使いたくなくて、電子レンジだけでどんな調理ができるか試すようになった。
100円ショップで電子レンジ調理用の器を購入した。
こういうやり方をするなら、ヘルシオホットクックを買った方がコストパフォーマンスが良いのだろうか。
普段からほんの少しでも仕事以外のことに目的意識を持つと行動につながって充実感が得られる。何かしら目的意識が無いとダラダラと気づいたら時間が経っている。すぐに行動に移れる単純な変化が大事。いつもと違うお店に行ったり、新しい道具を買い足したり。
外出しなくて運動不足なのに1日3食も食べるのはどうかと思い、昼食を抜いて1日2食ペースになりつつある。食事の回数が少ないと洗い物も少なく済んで楽ではある。
食事の回数が少ないと腸のリズムも変わってくる。今までお腹を下し気味だったのは、無理矢理3食とってたからかもしれない。
運動
仕事で余裕がなくなっていたのもあり、金曜日にウォーキングするぐらいになっていたが、5月の最終週になってからようやくジョギングを再開した。ジョギングすると、翌日結構な筋肉痛になる。
翌日も筋肉痛を庇うような走り方でジョギングしたら足首を痛めてしまった。アスファルトで走るのは大変だ。
娯楽
5月は都内の映画館がずっと休業中だったので、1度も映画館に行かなかった。新作の公開も延期されていて、最近はムビチケを購入するのを躊躇するようになった。
最近の楽しみはゴジラ S.P <シンギュラポイント>とSSSS.DYNAZENONぐらい。配信開始とほぼ同時に視聴している。
あと、SNSのGravityを始めてみた。
趣味
なんだか元気が無くて、ゴールデンウィークで時間があっても模型趣味はほとんど手を着けなかった。大して活動していないのになんとなく疲れを感じるのは運動不足のせいだろうか。
昨年に比べたら時間はたっぷりあるはずなのに、気力がわいてこない。変なことに精神力を使い過ぎなのか、睡眠の質が悪いのか。仕事での緊張が続いているのかな。
新しいおもちゃを買っても、しばらく開封しないことが増えた。書籍はだいぶ前からそうだけど。
ZBrushで作っているアヴァン・ガメラがまだ途中なのに、また別のものを新規で作り始めた。
1つ1つをちゃんと完成させる気力が無い分、作り散らかすことで気持ちを晴らそうとしている。
勉強
仕事に直結することしか勉強できていない。業務時間外にも多少勉強しているものの、あんまり集中できていない。
去年から生成モデリングについて記事にまとめようと思っているのに、なかなかまとまらずに1年ぐらい経ってしまった。
オイラの勉強のモチベーションは、目的のために必要にならないと湧いてこない。逆に言うと、必要に迫られたらやるので仕事のために学ぶのはさほど苦ではない。今最も必要に迫られていることを先にやった方が良いのかも。
自分の見識がある程度狭い方が、余計なことを気にせず突っ走れる。全力で突き進む勢いを得られる都合の良い視野の狭さが欲しくなる。
その他
「儲かる商売」とは何かと周りを見渡してみると、何かが生まれる近く(作る側)に陣取るよりも、客(お金を出す人)の側に陣取った方が有利な気がしている。値段を決めるのはお金を持っている側の人間で、お金を持っている側に近いほど商売上有利だ。
ソフトウェア開発において、たまにライブラリを使用することを否定的に言う人と遭遇する。だが、他人の設計に触れないと語彙力は増えないし、新しい理論を吸収する機会を損なう気がする。先人達が積み上げてきた知の体系やソフトウェア資産のメリットを否定しているように感じる。
「革命」という言葉に、旧体制の油断を感じとるようになった。革命を起こす側は長い時間をかけて地道に準備を進めているものだ。急に起こったように見えてる時点で相当気が抜けてる。
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