4月も振り返る。
先月、このブログに改めて振り返りカテゴリーを作ってこれまでの振り返り記事を整理してみて、よくこれだけ書き続けたものだと感心してしまった。書き始めた当初と比べて、今は1記事あたりの文章量もだいぶ増えた。
コロナ禍になってからのこの1年は特に、生活様式の変化に伴う気づきを事細かに記録するようになった。なんとなく、この記録が後々価値を持つようになるんじゃないかと期待している。
過去に拘っているわけではなく、一歩踏み出すために言語化しているのだ。
気候がだいぶ暖かくなってきて、暖房をつけずにとも快適に過ごせるようになった。(仕事中は未だに足下にヒーターをつけているものの)
部屋着も少し薄手のものに変えなければ。
東京は3月21日に緊急事態宣言が解除された後、4月12日からは「蔓延防止等重点措置」という聴き慣れないものが始まり、4月25日からまた緊急事態宣言(3度目)に突入した。
前の会社の同僚からメールで近況を教えてもらった。
以前インターンで来ていた子が新入社員として入社してきたらしい。オイラが指導を担当した子。
前職の同僚と直接会って話したいことも沢山あるけど、そこそこ整理してこちらの近況を返信した。
前はお昼休みに愚痴を聞いてもらったりしてたんだよな。安心して対面できる日はいつになるのか。
以前は飲み会を億劫に感じていたが、ここまで人と会う機会が減少するとちょっと恋しくなる。毎日仕事で接している人達とは違う人間関係、あるいは仕事とは違う話題を楽しむ機会がある程度あった方が良い。
「雑談」できる関係は貴重だ。仕事で直接関わる人達とは、リモートだとだんだん仕事の進捗以外の会話ができなくなっていく。忙しい時は特に。
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仕事
2021年度が始まった。4月は1日と19日の2回出社した。
4月1日は年度初めだからなのか出社している人が多く、自部署以外の顔ぶれを多く見ることができた。こういう人達が働いている会社なのか。
新年度になって部署の人員が増えた。
産休から復帰した人、異動してきた人、新たに中途で入社した人が加わった。オイラももう試用期間が終わったので「新入り」気分ではいられない。
出社と在宅勤務
在宅勤務するようになってから1年経った。
今の会社に移ってから、前の会社よりも在宅勤務率がさらに高くなった。
ネットワークやパソコンなどの設備的なものが十分に整えば、オイラは家でも仕事ができる職種。だが、出社には出社のメリットがあるのも感じている。
出社するとコーディングなどの直接的な生産性は落ちるが、近くの人と気軽に雑談できる。仕事の進捗以外で他の人とコミュニケーションを取ると気持ち的に安心感がある。「進捗を出さなきゃ」という脅迫観念が薄れるからだろうか。
在宅勤務だと業務の過程が見えない分、時間当たりのアウトプット量がよりシビアに測られるような気がしてしまう。
以前はメンバーシップ型の職場にやや嫌悪感があり、業務の進捗だけで評価されるドライな関係を望んでいたが、いざそういう状況になってみると自分は向いていない気がしてきた。過程を問われない仕事は裁量が大きいとも言えるが、直接アウトプットに繋がらない時間が長くなると緊張してくる。うんうん悩んでいる時間がサボりのように受け取られないかと。
サボっていると疑われたくなくて、チャットに即座に返信しようと自分のタスクをブツ切りしてしまい、コンテキストスイッチの負荷が増して自分の首を絞めている。
結果的に、出社時よりも在宅勤務の方がセカセカと休みなく働いてしまう。ジョブ型ってこういうものなのだろうか?
働き方のペース
先月はきつい締め切りに追われ、自分のキャパシティを超えた要求に応えようと必死になって労働時間がだいぶ長くなってしまった。この会社では当たり前の水準・ペースに全然ついていけない自分にスキル不足を感じていた。
だが、年度の区切りで少しずつ仕事の全体像が見えてきて、関わっているプロジェクトは今が特別「駆け足」の時期であると分かった。
今関わっているプロジェクトは、もともと2年弱ほどじっくりと時間をかけて準備を積み重ねていたものらしい。どうやら数ヶ月前に想定外のことがあって根本をやり直す羽目になったが、締め切り自体はあまり変えずに進めているようだ。そのしわ寄せでかなり切羽詰まっている段階でオイラは加わったらしい。
この状況が平常運転ではないと早めに気づけて良かった。
前の会社で新人の頃、初めて配属された部署で体感した仕事のペースを「この部署の働き方」と勘違いして長時間労働を続けてしまったことがあった。実は配属されたタイミングがたまたま特に忙しい時期だったのだ。
ハッキリと明文化されていないことをOJTのように体験から学び取ると、働き方に混乱してしまうこともある。特に当時は時間給ではなく裁量労働制だったから、標準的な時間的ペースを掴みづらかった。
自分がおかれている状況が分かったところで、これからしばらく締め切りに追われる毎日なのは変わらないのだが。
マルチタスク
オイラはマルチタスクに向いていない。
というか、ほとんどの人間は本来マルチタスクなんてこなせないわけだが、
逆に言うと、人間がマルチタスクに仕事をこなすためには工夫が必要ということだ。
結局のところ、複数の仕事を掛け持ちしながら自分のスループットを維持するには、コンテキストスイッチの負荷を減らすしかない。
それぞれの仕事にあまり深入りしないようにするか、集中する仕事を絞ってそれ以外のウェイトを下げるか。
最近はメインの仕事に集中したくて、掛け持ちしているもう一方の仕事のタスクが増えないように可能性を狭める意見ばかり言ってしまう。
可能性を自分で閉ざすことになるのがちょっとストレス。作る係のはずが、いつのまにか「できない」と言う係になっている。
作る係
自分で手を動かさない側の人が発散させるタイプだと、作る側の人が収束させる役割に回るしかなくなる。実際に作るよりも口だけの方が速いので、作る側にタスクがどんどん積み上がってしまう。作る側はアウトプットの品質を維持するためにタスクを必要最小限に絞ろうとするし、頼む側にはそれが消極的な態度に映る。
言い出した側は自分のアイディアを素晴らしいものと思って疑わず、具現化して見るまでダメだと認めることはない。
この関係では机上の空論が棚上げされたまま絶対視され続け、地に足のついた試行錯誤が減ってしまうのであまり健全ではない。思考と試行の距離が離れていくと、実の伴わないただの思い込みだけが強化されていく。実際の試行のフィードバックがあるからこそ思考は洗練されるのだ。
組織は、力のある人のコンフォートゾーンを広げる方向に動いていくので、決断する人と手間を引き受ける人の分断は広がっていく。
予測して動く
「予測」が仕事を上手くこなすために重要な要素の1つなのだと気づいた。
部署の人間関係がだいぶ分かってきたので、「この人にこれを言ったらめんどくさい返事が返って来るだろうからやめておこう」と予測して動くことはできるようになってきた(笑)が、これははたして良いことなのかだろうか。
逆に、会社全体の力学についてはまだ全然知らないので、何も予測できない。
「段取り」は先々までの全体像がある程度見通せていないとできないし、この「全体像」に自覚的な人も少ないのでなかなか明示的に共有されない。
同じ会社に長くいる者同士なら暗黙知として共有している情報が、仕事を円滑に進める上で結構重要な気がする。
今のオイラは予測できないことが多いから、ほとんどが後手に回ってしまう。
前提を知らずに動いてしまい、後から聞かされて「そんなこと言われても」と少し気持ちが攻撃的になった瞬間もあった。先に知っていれば準備できたのに。
年度単位の周期的な業務負荷の変動を予測してペース配分したり、「偉い人がこの情報を見たらこう言い出すだろう」と予想して先回りできると仕事はもっと楽になるはず。
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面談
オイラが前年度働いた期間は3ヶ月だけだったけど、一応前年度の働きについて上長と面談した。
意外と戦力にはなっていたらしいと聞かされ、少しほっとした。
「この会社は年功序列ではなく実力主義」とやや厳しいことも言われたが、はたしてそれは本当か?という疑問もある。というのも、前の会社でも新人の頃に上長から面談で似たことを言われた経験があるのだ。そして実際には、前の会社は絵に描いたような年功序列だった(笑)
会社の評価制度は建前上実力を評価しているかのような体裁になっていたが、客観的な数値が厳密に定められているわけではなく、評価を下す人間の裁量に委ねられている。その制度の中で評価された人間は自分の実力と感じるかもしれないが、ただ年齢に比例しているだけだ。評価されている人間は自分の置かれている状況を錯覚しやすいのだ。
新人だったオイラは「実力主義」という言葉を真に受けてガムシャラに働いてしまった。無意味だったなぁ。
「自分の色を出せ」とも言われた。まだオイラが何が得意な人間なのか分かりづらいのだろう。もっともパフォーマンスが上がる仕事を割振れた方がお互い良いに決まっているので、そこはちゃんと自己開示しなくては。
任された仕事に全力で取り組んでいると、得意・不得意がどんどん見えづらくなっていく。
就活の頃も感じたが、分かりやすい人間の方が頼む側は安心できるんだろう。任された仕事をちゃんとこなすのは悪いことではないはずなのにな。
今の上長は物言いがやや雑なので、言われたことを真に受け過ぎるとちょっとダメージを受ける。自己防衛のためにそこそこ距離を取っておこう。
こうやって、言われたことを素直に受け取れない人間になっていくのか。
ストレス
ここまでの振り返りにだいぶストレスがにじみ出てきている(笑)
そう、新しい職場でもやっぱりストレスはあるのだ。ストレスへの対処方法は今まで通り、言葉にして振り返ること。無意識に始めたやり方だったが、自分の置かれている環境や思考の癖を客観的に捉えるのは効果的な方法らしい↓
ストレスのアセスメントも同様に効果あります。書いてみることで自分のクセに気づけるし、「俯瞰的な」視点を得られるのもポイント。 https://t.co/aw19PP3Qlt
— とくさん|MYCOPING (@nori76) April 30, 2021
労働は好きか?
自分の意思で転職しておいてなんだが、今の職場・仕事が特別好きというわけでもない。前の会社での仕事よりは好みに近いものの、そもそもオイラは「労働」が好きじゃないことがハッキリ分かった。
労働以外でお金を稼げる方法があれば迷わずそっちを選び、好き放題作り散らかして過ごすと思う。
不労所得を増やす方法を真剣に考えた方が良いかもしれない。退職金を元手に米国株を少し買ってみた。
転職して、キャリアへの不安はむしろ増している。将来像が描けなくなった。
生活
生活がめんどくさい。金曜日は疲れて夕食も取らず、お風呂も入らずに寝てしまうことが増えた。
食事
朝食は菓子パン、昼食と夕食はインスタント。仕事が忙しい時は昼食がカップ麺だけになることも。
せめて夕食だけはちゃんとしようと、カット済みの具材を買って来て煮込むぐらいは自分でやってみようかとも考えたが、結局そんな元気が無くて電子レンジでできる範囲の簡易調理になる。電子レンジで煮込むのはそこそこ時間が必要になるので、どちらかというとヘルシオ ホットクックみたいなものでやった方が良いのだろうか。
健康
なぜか髪と爪が伸びるのは速い。側頭部に白髪がだいぶ増えた。
睡眠
ほとんど在宅なので睡眠時間は十分取れるのだが、最近は日が昇る時間が早くなってきて、明るくて目が覚めてしまうことが増えた。
また、長く寝ようとすると腰が痛くなるようになった。寝具を変えた方が良いだろうか。身体に合ったマットレスを探したい。
運動
ウォーキングの頻度・距離ががどんどん減っている。労働時間が長めなのと、次の日に備えて早めに食事とお風呂を済ませて寝ようとしてしまう。早く寝つけるわけでもないのに。
ちゃんとウォーキングできるのは金曜の夜ぐらい。
そういえば、夜中にウォーキングして帰って来たら玄関の前に猫が座っていたことがあった。
娯楽
ここ1年ぐらい、ウォーキング中にラジオクラウドでアフター6ジャンクションを聴くようになった。TBSラジオの文化系トークラジオ Lifeは以前から聴いていたが、放送が隔月になって以前よりもコンテンツ不足を感じていた。
鈴木敏夫のジブリ汗まみれも未だにポッドキャストで聴いている。
映画館
なんだかんだで、4月は3回映画館に行くことができた。平日仕事終わりに映画館に行く開放感がやっぱり好き。
蔓延防止等重点措置下では飲食店が夜9時まで営業で、映画館の営業時間もそれに準ずるか、都心では4月から飲食物の販売を止めてレイトショーの営業もやっている映画館もあった。
3月はレイトショーをやっている映画館が無かったので、なかなかできなかったのだ。3月も出社した日に仕事帰りに映画館へ寄ろうとしたことはあったのだが、結局仕事が長引いて間に合わなかった。ムビチケを買っておいた「トムとジェリー」は結局見れずじまい。
だいぶ禁断症状のようになって来て、もう在宅勤務の日でも仕事が終わったらわざわざ電車に乗って映画館へ向かうようになった。帰りはウォーキングを兼ねて徒歩で帰宅したり。
しかし、3度目の緊急事態宣言では休業する映画館がほとんどになってしまった。
趣味
趣味の制作を進める気力がなかなか湧かない。
コロナ禍のステイホームで始めたZBrushでのアヴァン・ガメラの模刻が完成しないままもう1年経ってしまった。
平日は仕事パソコンを机に広げっぱなしでいちいち片付けなくなったので、余計に作業から遠ざかっている。
模型制作もなんだかめんどくさく感じてあまり触れなくなってしまった。仕事で消耗し過ぎなのだろうか。
1年前と比べて
1年前、最初の緊急事態宣言をきっかけに在宅勤務が始まった。初めて家で仕事するようになって、最初は部屋のレイアウトを改めたり、4Kディスプレイを買い足したりAmazon Fire TV Stickを買ってみたり、今思うと、生活スタイルの変化にちょっとはしゃいでいた節もある。
在宅勤務を1年経験して、生活スタイルに慣れて来たと同時に刺激も薄くなってきた。退屈な毎日。
在宅勤務を始めたばかりの頃は、在宅勤務の日も出社時と同じだけの運動量を維持しようとして、かなり長くウォーキングしていたな。なんとなくウォーキングコースが定まってきて刺激が減って、だんだん面倒になって頻度が減っていった。
このままのペースだと、どんどん仕事以外何もしない生活になっていく気がする。基本はめんどくさがりなので、義務以外のことはとことん省略してしまう。
気力が無い割に退屈を避けたい。不思議な感情だ。
毎月の振り返り記事を書くルールはかろうじて守れているので、(誰が読んでいるわけでもないけど)連載のような形態を保つと続けられることは分かった。
潜在的に、上手くまとめよう、上手く伝えよう、という感覚があるように思う。何か洞察が得られるまで整理したくなるし、その着眼点を誰かに伝えたい。
この伝え方にこだわってしまう癖を上手く活かして少し別のことを始めたい。とずっと思っているのに、その形態が見つからない。自分の着眼点を評価されたい欲求がある。
マミさんの絵日記のようなゆるい手触りで、自分なりの着眼点が反映できる遊びでストレス解消を兼ねたい。
欧米は沢山の感染者が出て死者も多かったが、1年経ってみるともうワクチン接種が進んでいる。
日本は1年経ってむしろ事態を悪化させてしまったようにも見える。理屈で対話できない人達が国を仕切っている恐怖を感じるようになった。
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