どんどん年末が近づいてくる。
定期的な振り返りを書く負荷を抑えるためになるべく行動にフォーカスするようにしてたけど、ここ最近は結局気持ちの整理がメインになっているな。
ストレスに言葉で立ち向かう
たぶん、今抱えているストレスに対処するために自然とそうなっちゃうんだと思う。感じたストレスをなるべく言語化しておけば、後々もその言葉を引用して似たストレスに対処できるような気がして。
ここ数年、飽きもせず定期的な振り返り記事を書き続けられたのは、それによってストレスを和らげる効果があったからかもしれない。
「愚痴を言う」というのに近い気もするけど、なるべく個人への嫌悪や恨みとは切り離して構造的に捉えるように整理したいところ。
言葉で吐き出すから変に心にこびり付かずに済む面もあると思う。言葉でストレスに立ち向かうのだ。
仕事
実は10月から部署異動して、少しだけ仕事の環境が変わった。
新しい上司
部署が変わって上司も変わった。これまでも上司が変わることは何度か(6回ぐらい)あったので、仕事がやりやすい人かどうかをある程度相対的に見ることができる。
ちょっと新人時代の思い出話をすると、会社に入って最初に配属された部署が解散した時、初めて違う上司を経験することになった。上司が変わってみると、それまで抱いていた会社への不満のほとんどが単に直属の上長への不満だったことに気づいた。
会社の本流は自然淘汰が働くのである程度まともな人しか出世していないのだが、傍流はアタリとハズレの差が大きい。今思うと、最初の上司はハズレだった。
こちらの記事で「苦労期」と書いた頃の話だ↓
年功序列なので、大きな失敗(損失)をやらかさない限りはそれなりに出世できる。そういう点では良い会社と言えなくもない。
変わらなかった人
新しい上司は、今のところ最初のハズレ上司と似た印象を受ける。聞くところによると最初のハズレ上司と同世代らしい。何か世代に共通する傾向でもあるのだろうか。どういう時代にキャリアをスタートし、仕事を覚えたかでタイプを類型化できるかもしれない。
年齢的に、おそらく入社時と今ではだいぶ仕事内容が変わってしまった世代だ。しかし仕事内容の変化に盲目的で、昔の働き方を今でも引きずっているように見える。
「子供達の65%は将来、今はまだ存在しない職業につく」(ニューヨーク市立大学教授 Cathy N. Davidson)
という話は子供に限らず、今現在働いている人達にも言える。キャリアのスタートからずっと同じ職業を続けられる時代でもない気がする。1つの会社勤め続けるとしても、その中で職業はアップデートされ続ける。「働き方改革」は職業の強制的なアップデートだと思う。働き続けるということは、変わり続けるということ。
オイラが「昔の働き方」と感じるのは使うツール云々の問題ではなく、価値観だ。滅私奉公を要求する傾向や、物事の測り方のズレを感じる。
盲目的な分業
手癖で働いているのか、目の前の物事を見ず仕事内容やスケールを測り間違えている。
タスクの大きさに対して過剰な分業体制を取り、負荷分散した気になっているが、それは人海戦術時代の考え方だ。小さなタスクの人的な依存関係だけが密になってしまい、かえってコミュニケーションコストによるオーバーヘッドが発生している。
役割分担とは別に年次の差による力関係もあり、お互いが歩み寄りを放棄して相手をブラックボックスとして扱うことになる。分担しやすくするために抽象化することはあるが、それは内部が複雑で巨大な場合だ。少なくともメンタルモデルは共有する必要がある。
自分に分からないことはスコープ外にして他人に丸投げしてしまうと、自分のアウトプットの不備を自分で測れなくなってしまう。本来依存関係のある物事を誰も捉えられなくなる。同じ関係を長く続けることで無能化が進む。ただの部品になってしまう。
副業のメリットとして挙げられるのはこれと真逆の側面だろう。他の役割の中身も測れ、理解できること。
タスクの負荷が大きければコミュニケーションコストの影響は小さくなるが、そんなに大きいタスクじゃない。(オイラも生活コストをゼロと見積もりたくなるので人のことは言えないか)
分業を負荷分散の度合いで測ってしまうと、情報の依存関係に無頓着になってしまう。各々がちょっとずつ色々なことを掛け持ちする状態が出来上がる。分業制の悪い面ばかりが目立つようになる。
マイクロマネジメント
仕事の尺度が曖昧(雑)なため、部下が自律的に判断できずにどんどんマイクロマネジメントに陥っている。部下に対する要求が厳しいように見えて、ただ単に要求が雑なだけなのだ。
出来上がったものに対して後から細々と指摘するしかできない。
ふと思ったが、コンテンツ系のディレクションは尺度を共有しづらいので、構造的にマイクロマネジメントに陥りやすい気がする。
計画性を身に着ける機会
何か絵に描いたようなダメ上司だけど、2回目なのでかなり冷静に捉えることができる(笑)
滅私奉公の価値観が尺度のアップデートを妨げているように思える。後輩、部下の知恵を吸い上げる働き方を知らないのだろう。
以前のハズレ上司もそうだったが、最も困るのは滅私奉公を続けてきた結果、当人に「段取り」のスキルがまるで身に着いていないことだ。ホント、段取りがとても悪い。新しい上司は常に「人手が足りない」と言っているが「計画性が足りない」のが実態。反射的に行動するのが癖になっている。
ITの発達で働き方の自由度は年々増しているが、制約が減った分、計画性を身に着ける機会も減っているように感じる。五月雨でバラバラと指示を追加できたり、締め切り直前でも差し替えが効いたりする。
だが、人的リソースを時間で細切れにするとパフォーマンスは確実に下がる。
日本マイクロソフトが週休3日制を試して生産性が上がったというニュースを見ると、新たな制約を設けて計画性を発揮したんじゃないかと想像してしまう↓
https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/news/18/06325/
ITの恩恵の受け方?
ITツールの恩恵は、個人でこなせる範囲を拡大し、1つのタスクに関わる人的依存関係を減らせる点ではないだろうか。タスクに対するコミュニケーションコストの比率を下げられるのだ。
以前の依存関係をそのままにITツールでさらに密結合させることではないはずだ。目的が先、分担が後。
工場の工程設計なら機械優先で人員配置が後になるのに、デスクワーカーのビジネスプロセスは人が優先され過ぎてパフォーマンスの話があまり議論されないな。
ITの恩恵で個人でできる範囲が増えているのに、従来から他人に頼む仕事をしていた人達は相変わらず他人に頼もうとする。
「苦労期」として書いた頃の環境と似ているが、今の視点で見ればそれは「仕事ごっこ」に過ぎないと解る。
って、だいぶ個人への悪口になってしまったな。
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新しい仕事・同僚
上司だけじゃなく同僚・仕事内容も変わったので、ちょっと余裕がない。ブログの更新が週1記事以下に落ちているのはそれが原因。なんだかんだで仕事に本気になってしまう。
新しい仕事を覚える上で1番難しいのはツールの使い方以上に「測り方を習得する」という点かな。
ただ、今まで人間関係が変わらずに業務だけ新しくなることが過去何度かあったけど、人間関係の変化の方が戸惑いは大きい。すでにある程度出来上がっている集団に後から加わるので、転校生のような気分。(前から同じフロアにいたので顔見知り程度ではあったけど)
新入社員の頃から知っている10歳以上年上の先輩と一緒に仕事をすることになった。知り合いではあったけど、直接仕事で関わるのは初めて。
一緒に仕事をすることで、案外仕事のできる人でもないことが分かってしまった(笑)
オイラは新しい人間関係を築いたり、人との距離を縮めるのがあまり得意ではない。初対面の時と同じ距離感で何年もそのままなことが多い。
自己開示が下手なのも原因な気はしている。自己開示にストレスを感じている節もある。
組織や集団・コミュニティに属すると、何か貢献しなければ属していられないような強迫観念があり、不安を感じてしまう。仕事上の集まりはそれで良いんだけど、友人関係だとしても何となく同じ感覚に陥る。
目的の奴隷になり過ぎてしまうのだ。「良好な関係を築く」が必ずしも最優先にならない。
そういえば、また1人後輩が退職した。ここ数年入ってくる後輩の世代は、仕事内容・人間関係が合わないと感じたら無理に適応しようとせず、さっさと辞めていく。自分に合った場所を探す方が健全なのかもしれない。
自己分析
自分自身を知るために1番効果的なのは外部からの刺激に対する自分の反応を観察することだ、と今更ながらに気づいた。すぐに疲れてしまうので、しょっちゅう新しい刺激に触れるのはしんどいけど、新しい刺激に一切触れないままだと自分自身が見えてこない。外からの刺激に反応する自分を日々記録することこそ自己分析。
そういう点で、上司・同僚が変わるのは自分を観察する良い機会だ。ここ1ヶ月で「反射的な働き方が嫌い」とハッキリ自覚できた。オイラは執着して考え続けてしまう人間。
立ち止まって考えるべき時と、反射的に動けなければならない時があるだろうから、自覚的に使い分けられるようになりたい。
メタスキル
最近、メタスキルという言葉を知った。
http://www.itstaffing.jp/engineer/entry/20160726_1
学業の成績が大したことなかった自分が仕事をそれなりこなせるのは、何かメタスキルがあるからなのかな。
学生の頃の自分
PCの過去のデータを整理していて、学生時代につけていた日記がたまたま目に入った。Wordで書いていた。
基本的にはダラダラとした生活がつづられているだけだけど、大学に入学したての頃、就職活動の頃など、当時のストレスからすごくストレートに感情的なことも書いてあった。
当時は今みたいに冷静にストレスと向き合うことができなかった。もともと、オイラはすごく感情的な人間だ。
人との距離感
昔は他人との距離感のバランス感覚が悪かった。近過ぎるとほんの些細なことでも嫌悪感が募る。少し離れるだけで全然平気になるのに。
今はちょっと距離を取り過ぎな感もあるけど。
夢への執着
今でも人と会話していて涙を堪えることがたまにあるけど、就職活動中は堪えきれずに泣き出してしまったことが何度かある。面接で自分の頭の回転の遅さに気づいたことも書いてあった。
ただ、面接後もその内容に執着して考え続けていた。
入りたい会社の面接後、結局電話は鳴らなかった。何であんなに否定され続けたんだろう。倍率が高い会社を目指していた?
今思うとちっぽけな話。いや、昔は自分の夢に対して今よりもずっと正直だった。今はそこから目を背けている。自分が本当にやりたいことは人に聞かれても明言も避けている。
今風に言うとオイラが就きたかった職業は映像系のR&Dだったかも。発明が娯楽を次のステージに押し上げるような仕事。
学生の頃は創作ノートみたいなものを付けていた。大学ノートに雑多にメモやらラクガキなど、1日1回は必ず何かを記入するようにしていた。
勉強している時間よりも長かったかも。創ることへの執着があったように思う。
勉強
最近、このブログのDeep Learning系の記事のアクセスが伸びていて気づいたが、自分がすでに知っていることは勉強記事にしないので、今勉強していることばかりを発信していることになる。そして、アウトプットからそういう人だと判断されるようになる。まるでDeep Learningに詳しい人のように見えるかもしれないけど、完全に逆である。
専門分野であるレンダリングのことを整理して記事にしても良いかもしれない。
ARKitで色々と試していると、CG制作や模型制作よりも、コーディングの方がはるかに簡単に達成感を味わえると実感。これは測り方の錯覚で、CGや模型制作は完成に近づいているかで測ってしまうのに対して、大した目的も無いコーディング遊びはGitHubのコミット回数ぐらいでしか活動を測らないからだろう。
ただ学生の頃と違い、低レイヤーなコードは全然書かなくなってしまった。ライブラリやツール頼りで、抽象化されたレイヤーでの操作だけで、仕組みと向き合うことが無くなってしまった。
プログラム開発は年々すごいスピードでインフラが進化しているので、完成に近づいているかどうかに関係なく活動を可視化する方法が豊富で、それが短期報酬のように働いて途中で挫折しにくい。
模型制作についてはブログに制作記事書く形で活動を可視化して続けられるようになったけど、CG制作でもそれに近いことをしたい。ZBrushやHoudiniなど、手数で測ってみれば良いのだろうか。ヒストリーとか?
昔からのパターンだが、何かに行き詰まるとすぐに横になってしまい、そのまま寝てしまう。疲労度合いに鈍感なのだろうか。徐々にではなく、急に疲れを感じてしまう。
ほどほどのペースを維持して進めるのが下手なのである。
作業環境
そろそろPCを新調したい。今使っているデスクトップPCは3年前に組んだもの。
CPUやメモリはまだ全然通用するけど、GPU環境がだいぶ厳しい。ケースと電源を新調すれば済むだろうか。
最近NASの調子が悪くてデータをホイホイ放り込めなくなっている。バックアップのために新しいNASを買うか?
生活
生活力の無さが酷い。部屋のスペースに比べて物が多い。趣味のものが増えていくのはまあしょうがない(?)けど、問題は生活上仕方なく持っている物の取り回しである。
いまいち服の取り回しがよくわからない。体温調節が下手なのも服に関する知識が無さ過ぎるからではないか。
片付け・掃除については手を抜く方法をネットでチョコチョコ調べている↓
https://note.mu/ikeay/n/n1d386cdd10e4
ボロボロになった財布もまだそのまま使い続けているな。
最近の娯楽
引き続き映画館に行ったり、Netflixを観たりしているけど、ちょっと小説を読んだりしている。
普段小説は滅多に読まないが、短編集ぐらいならそんなに負荷も無いと気づいた。
ネット上で紹介記事を読んでこちらを購入↓
Netflixでスター・トレックを観ていたら、SF小説も面白そうだと思い始めたので。
箇条書きコーナー
- Web検索の時代、「探す」という行為が「質問する」に代わってきている。
- 「行動力がある」は「思考を放棄しやすい」と裏表の関係かもしれない。
- 「人当たりが良い」も「1人でやろうとしない」だけかもしれない。
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