なんだかんだで自己分析に迷走しているので、この書籍を読んだ↓
いつの間にか会社員生活もだいぶ長くなり、仕事を通じて得たことも増えているはずだけど、それをどうやって整理したら良いのか指針が欲しくて購入。
以前、就職するまでのことを振り返ってみたことはあったんだけどね↓
自己分析においてはWILL, CAN, MUSTの3つの要素を考えることが重要らしい。
- WILL:仕事を通じて自分が実現したいこと (自分の意思)
- CAN:自分のできること (自分の経験・スキル)
- MUST:組織の一員として果たすべきこと (自分の役割)
本書では、この3つの要素を考えるために、これまでのキャリアを以下の視点で振り返るキャリアレビューシートの作成を推奨している。
- 充実期:仕事に最も夢中になり、成長が感じられた
- 苦労期:大きな悩みを抱えたり挫折を味わったりした
- ターニングポイント:仕事上で自分が大きく変化したと感じた
充実期というのはつまり、満足や喜びを多く感じた頃、苦労期とはストレスを多く感じた時期のことだろうか。ターニングポイントって何だろうな。環境ではなく、あくまで自分の変化を感じた時期か。
それぞれの時期について以下の項目を細かく書き出すと良いらしい。
- 仕事内容
- 成功・失敗した体験
- 身についたこと
- 当時の同僚
とはいえ、いきなり深くやろうとするとオイラはドツボにハマるタイプなので、まずは粗く、幅優先探索みたいな感じでやってみる。(深さ優先探索で帰って来れなくなるタイプ)
大雑把に思い出してみると、こんな感じだろうか↓
- 苦労期:2012年度〜2013年度の前半の1年半
- ターニングポイント:2013年度の後半の半年
- 充実期:2014年度の1年間
って、2015年まででキャリアがほとんど完結しちゃうじゃないか(笑)
キャリアの最初の頃の影響が大きくなっちゃうのは何となく分かるけど。
苦労期
真っ先に思い浮かぶ苦労期は「忙殺」という言葉が相応しい。仕事以外のことが何も考えられないほどあらゆる時間が仕事に侵食されていた時期だ。
肉体的にしんどかったのもあるけど、業務時間を全て作業で埋められてしまったために「考える時間」や「調べる時間」「勉強する時間」を業務時間外で確保せざるを得なかったのもストレスの原因だったと思う。
オイラ自身が「考える時間」が無いと行動が滞る性分であると気づくきっかけでもあった。反射的に量をこなしていくタイプの仕事にオイラは向いていなかった。
タスクを振る側から見れば大した量じゃないと感じるかもしれないが、経緯や目的など、考える材料が欠落した状態でタスクだけが大量に降り注ぐ環境はしんどかった。タスクの粒度やタイミングもバラバラで、要求が厳しいというより、あらゆる点で雑だった。
初対面で求められる瞬発力が永遠に続くようなしんどさ。
こういう環境では、タスクを振る側の人間も反射的である場合が多い。何も考えず手癖で働いている。スケジュールがタスクで埋まった忙しい状態に充実感を抱く傾向もある。
段取りや計画性で仕事を進めたことが無く、他人を急かすことしかできない。新しい別のタスクを割り込ませる。
仕事の質を測る術を持たないため、時代の変化に気づけず、成果が上がらなくなっても他人のせいにしてやり過ごす。
この頃はまるで余裕が無く、心の状態も悪かったな。突然最優先のタスクが追加されることが多々あり、今日やるはずだったことに着手できずに延々先延ばしになってしまったり。
後から振り返ってみると1年半ほどの短い期間だったけど、当時はこれが永遠に続くかのような絶望感があり、ずっと不安が消えなかった。
この頃の大きな失敗は、無理な働き方で心を病んだこと、その後身体を壊したこと。片足が麻痺したり、しばらくして十二指腸潰瘍、帯状疱疹と、身体に様々なガタが来た。回復するまでにかなりの時間がかかった。
タスクへの執着心で疲労に鈍感になってしまうと気づいたので、それ以来体力的にかなりセーブして働くようになった。
こういった経験から、オイラは仕事での責任分界点や裁量について意識するようになった。
この頃に自分でこなすタスクと人に頼むタスクの両方を経験できたので、今思うと「他人への仕事の頼み方」のベースの考えは身に着いたかも。
ターニングポイント
それまでは制限時間内に大量のタスクをさばこうと必死になっていたが、全ての仕事が雑になるだけで大した成果が伴っていなかった。
そこで、先輩の反射的な働き方を模倣するのは止め、「考える時間」を長く取ることにした。気取らずに丁寧に。それが自分のパフォーマンスを上げる唯一の方法だと思った。
今まで業務時間外で賄っていた「考える時間」「調べる時間」「勉強する時間」を全て業務時間内に持ってきた。仕事に必要な諸々にかかる時間をすべて業務時間内で確保するようになった。(本来それが当たり前なんだけど)
割り込みタスクが発生しにくい集中できる時間帯を探したりもした。関わる人が少ない方が仕事が捗った。
それぞれのタスクを良く見て適切な対処方法を選ぶだけで、成果の確度が随分と上がった。
自分のアウトプットが他人のインプットになることを意識して、他人の力を借りるために必要だと思うことを1つ1つ丁寧にやった。
そのせいでカウント上の労働時間は延びたが、着実に結果が伴うようになった。それまで大量のタスクをこなさなければならなかった原因の1つはおそらく「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」の状態にあったことだ。
それぞれの業務をちゃんと観察して対処する。「よく見てよく狙う」のが自分なりの仕事のやり方になった。
働き方改革とは職業をアップデートすることであって、時間ノルマをキツくして急かすことではない、ということを何となく実感した。
そういう点で、先輩達の働き方を模倣するしかないOJTは、負の再生産に繋がりかねない危険な教育方法だとも思った。(反面教師にする手もありますが)
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充実期
部署が解散し、異動して少し違う専門分野の仕事(画像認識・機械学習)をすることになった。
「よく見てよく狙う」という自分なりのやり方が、違う業務内容でも通用する手応えを感じた。新しい知識も「作りながら学ぶ」というスタイルで習得していくのが性に合っていると気づいた。
そして、なまじ責任分界点について心得があるので、「失敗したところで自分だけのせいじゃない」という開き直りで行動が少し大胆になった。人のせいにするのが上手くなったとも言える(笑)
それ以前が委縮し過ぎだったのかもしれない。それまでは、失敗の原因は全て自分のような気がしていた。実際、周りも人のせいにするのが上手い人ばかりだったので、避けるのが下手だと自分のせいになってしまう。
自分の考えでプランを立て、誰にも邪魔されずにそれを遂行できる環境で、成果を褒めてもらえた。よくよく思い返すと、前の部署では関わる他の部署から感謝されることはあっても、同じ部署の人から褒められることはなかった。
業務内容に関わらず、現在も続く働き方のペースを掴み始めたのがこの頃。無理をせず、淡々とこなしても成果を上げられるようになった。
土壇場だけ頑張るよりも、長期間同じペースで続けられる方がはるかに強い。
しかし、別の分野に移ってもこの「よく見てよく狙う」でそこそこ成果を上げられることが、ジェネラリストへの道を開いてしまったような気もする。
プライベートの変化
慢性的に忙しかった部署から解放されたことで、急に可処分時間が増えた。タスクの粒度が安定していて、混乱することが無くなった。余裕があると、自然と創意工夫に時間を割くようになる。
以前からプライベートの時間で専門知識を補充することは多かったけど、この頃から好奇心で仕事とは違う範囲の勉強もするようになった。
当時流行り始めたクラウドの恩恵を実感してみたくて、Google App EngineやAWSを触るようになり、WordPressでこのブログを立ち上げてみた。学生の頃に書いていたはてなダイアリーの記事をインポートし、WordPressでブログを再開したのだ。
仕事に忙殺された時期を経ていたので、まずは自分が好きだったことを改めて見つめ直すように言葉にしてみた。そこから徐々にブログを書くのが習慣化して、興味のあること、感じていることを言語化して記録するようになった。模型趣味を再開して制作記事も書くようになった。
「とりあえずブログに書く」という習慣から、だんだんと勉強の過程もブログ記事として書き記すようになった。こうして始まった言語化して記録する習慣は、後に仕事でも大いに役立つこととなった。
ブログで定期的な振り返り記事を書くようになったのはそこからさらに数年後。自分の感じている違和感やストレスをなるべく言葉で説明し、その正体を突き止めることで消化するようになった。
その後
こうやって振り返ってみると、2015年以降は言語化の訓練やコミュニケーションに重きを置くようになった気がする。裁量の範囲が広がって、サブプロジェクトではリーダーを務めたり、後輩と組んで仕事を進めるようになった。
他人の力を借りるにはどういう頼み方をしたらいいのか、人を集める前にどういう準備をしておいた方が良いのか、自分個人の行動だけでなく集団に働きかけることで間接的に成果を上げる方法を模索した。自分の意図を他人に伝える方法を色々と試してみた。
2016年からは英会話を始めたな。(2年間でやめちゃったけど)
いつの間にか、仕事の内容に関わらず淡々と成果を上げられるようになってしまったが、何だかんだで今現在も充実期の延長にいるのかもしれない。それが長過ぎて変化を感じず停滞期のように思えているだけで。
自分のWILL, CAN, MUST
さて、粗く振り返ってみたところで、自分のWILL, CAN, MUSTの3つの要素を考えてみよう。
WILL
WILLについて、今まで仕事で感じた違和感を振り返りながら考えてみると、オイラは「誰かの頼みに即座に応える」ような瞬発力よりも、じっくりと観察して構造を捉える方に興味がある。反射的に動かなければならない仕事にはあまり向いていない。
まず立ち止まって考えて、少しずつ腰を上げて歩き出し、だんだん早足、駆け足になっていく。駆け足から始めるのはどうも苦手。
周りの人に合わせて馴染もうとしてもあんまり上手くいかないし、「誰かの役に立ったり世の中を便利にしたい」というよりは「世の中を豊かにしたい」という想いが強い。
そもそも「人の役に立ちたい」という志が無い(笑)
その場で自分の居場所を作るために役割を演じることはあるけど、「誰かの役に立つ」ことに人生を捧げようと思えない。
役に立つ・立たないという尺度で測れることよりも、新しい尺度を見出したい。じっくり観察して、デザインで解決したいのかも。
できれば日本に限らず、海外市場を見据えた仕事をしてみたい。
CAN
CANについては割と簡単で、今までの仕事を通じて会得した専門知識だろう。学生時代の研究分野も含めると、オイラはCGとCVをそれなりに使いこなせる。ARのような分野横断型のジャンルの時代にはそこそこ強みな気がする。
仕事でウォーターフォールなシステム開発工程や、複数部署にまたがる開発プロジェクト、他社との共同プロジェクトも経験したので、プロジェクトマネジメントもそれなりに心得がある。
また、開発プロセスの設計によっては工数と品質が正比例の関係にならないことも十分に理解しているつもり。手癖でスケジュールを立てると大抵そうなる。
MUST
MUSTについて今現在のオイラの役割は、以前読んだ書籍「天才を殺す凡人」の言葉を借りると「整えて」のフェーズを担う仕事。
少なくともその役割でやるべきことは何となく分かっているし、そこそこ得意だと思っている。人に伝えやすい工程に分解でスケールさせる。
う~ん、もう少し時間を置いたらもっとハッキリしてくるかなぁ。
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