話題の書籍「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んだ↓
最近のオイラの生活スタイル的に、通勤途中の電車内や、夜布団に入ってからしばらくはスマホをいじってしまうので、その時間を読書に充てられるように電子版(Kindle)で購入した。
この手の読み物系書籍はスラスラと読めるので、スマホでも大丈夫だった。(後から読み返しづらいけど)
逆に、技術書とかお勉強系は未だに紙の本じゃないとオイラは無理っぽい。
お勉強系だとマーカーで囲ったりとか、何度もページを往復したり色々するからですかね。研究論文のPDFもスマホじゃ読めないだろうな。
本書の著者は数学者で「ロボットは東大に入れるか」プロジェクト、通称「東ロボくん」のディレクターを務めた新井 紀子氏。(国立情報学研究所教授、同社会共有知研究センター長)
東ロボくんプロジェクトの目的は東大に合格することではなく、AIの性質・限界を見極めることだったそうです。
AIが問題を解くプロセス
本書の前半では、東ロボくんプロジェクトによって明らかになった現在のAIの得手不得手と、AIがどのようなプロセスで解答を導くのか、そしてそのプロセスが人間の知性と根本的に違うことを述べている。
AIは数学(論理・確率・統計)で表せる問題しか扱えないのだ。コンピューターは計算機ですからね。
問題文の意味を理解するのではなく、統計データを基に正解である確率の高い選択肢を選ぶようなアプローチ。(社会科では問題文を使わずに選択肢だけで正答できるタイプの問題もあったとか)
AIは文章の意味を理解できない
AIの特性を紐解いたところで、本書では今後AIで代替可能な仕事と、人間にしかできない仕事についても解説している。
東ロボくんプロジェクトで分かったように、AIは文章の意味を理解して問題に答えているわけではない。大雑把に言うと、AIには読解力が無いのだ。
特にホワイトカラーにおいて、AIで代替できないのは「読解力」を要する仕事だ。コミュニケーション能力や理解力と言い換えても良い。
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人間の読解力
では、そもそも人間の読解力はどれほどのものか。
著者が東ロボくんプロジェクトと同時期に行った「大学生数学基本調査」の正答率の低さを受け、学生を対象とした本格的な「基礎的読解力調査」が始まる。
詳細は省くが、この調査の結果、多くの学生がAIと似た傾向、つまり問題文を理解せずに回答していることが判明する。
また、この基礎的読解力は学力と高い相関があり、「問題文の意味が理解できるかどうか」はその後の進学先を大きく左右している。読解力がなければ教科書から学ぶことはできない。
と、ここまでが本書の大まかな内容。
ちなみに、本書の印税は著者が設立した一般社団法人「教育のための科学研究所」に全額寄付されるそうです。
自分自身に思い当たる節
読解力について、オイラが学生だった頃を思い返してみると、思い当たる節が結構あるんです。オイラは本書で言う「教科書が読めない」側の学生だった。
本書に出てくる「大学生数学基本調査」の例題も、大学1年生の頃の自分はたぶん間違える(笑)
例示と証明、例え話の違いなんて理解できてなかったと思う。勉強は苦手だったし、本を読んだりもしていなかった。
文章を読んで構造を理解するのは今でも苦手だから、どうしても傍線を引いたり印をつけて図解っぽくしてしまう。
それでも今現在オイラがホワイトカラーの職に着いていられるのは、周りの大多数の人達もまた「教科書が読めない」側の人間だからじゃないだろうか。「分かったフリしてやり過ごす」を続けてきた人達。
なんとなく理屈で物事を捉えられるようになったのは大学でプログラミングを学んでからだろうか。(データ構造・アルゴリズムは1度単位落としてる)
書いたプログラムが破綻しているとコンパイラが容赦なくエラーを吐くのが教育的には良いフィードバックとなっていたのだろうか。
日本の教科書のつくり
本書の趣旨とは逸れるが、「日本の教科書は独学に向いていない」という話を思い出した。(その話の出典はちょっと思い出せないけれど…)
日本の教科書は教師による補助を前提としたつくりをしていて、学生1人での独学で進められるようにできていないとか。欧米の教科書は学習勾配をなだらかに保てるように、丁寧に解説を進めているため分厚くなっているという話も。
思い返すと、教科書の変わり目が挫折ポイントだったような気がする。
中学校を卒業して、高校の授業が始まる前に春休みの宿題が出た。数学の教科書の〇ページの問題をやってこい、という宿題だったけど、計算問題の掛け算が
教科書には何の説明もなくて、最終的に親に教えてもらった気がする。教科書単体では予習しづらかった。
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