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2017年3月 振り返り

2017年になってから、なんとなく1ヶ月ごとぐらいのペースで振り返りをしている。


過程を晒す
ここ最近、ブログに模型の組み立て過程とかCGのモデリング過程ばかりアップしてるオイラだけど、昔は途中経過を晒すのが苦手な人間でした。苦手というか、嫌いだった。まだ未完成の「途中の状態」を見られるのが恥ずかしいという気持ちと、まだ「途中の状態...


この調子で3月も振り返ってみる。仕事も年度末なので良い区切りのタイミングだ。

仕事で思うこと

欠点を補う工夫

会社員として働いていると、何かしら他人と協働することになるが、他人と関わって初めて自身の特性に気づくこともある。
自分は学生の頃思っていたほど無能じゃないのかもしれない。できないなりにそれを補う工夫をしてきたのは無駄じゃなかったと思えるようになった。
というのも、仕事で関わる年上の方達が、意外と得意不得意に無自覚なまま働いていることに気づいたから。
誰でも少なからず向き不向きがあるし、どうしても苦手なことはあるものだ。だけど、欠点だろうが何だろうが、自分自身の特性に自覚的な人の方が何となく信頼できる気がする。

滅私奉公はしない

最近読んだ書籍のおかげで「滅私奉公」という言葉を意識するようになった。



会社員になりたての頃は何となく「働くこと≒滅私奉公」だと思っていた。社会人とは自分を押し殺し、律するものだと。
そういうのに疲れてしまって、社会人(≒滅私奉公)を諦めようとも思った。
『社会人』を諦めました
みんな「社会人」という存在を美化し過ぎだと思う。大体、美化している本人も含めて過半数は社会人なんだから、そんなにキレイなはずがないのに。就職した途端に「学生と違って社会人とは~」みたいなことを語る輩も後を絶たないけど、そんな急激にお前が変化...


だが、よく考えてみると、滅私奉公とは自分自身を一方通行の指示系統の末端に置く行為だ。滅私奉公の究極は「ただの機械」であることにここ数年で気づいた。
http://workswitch-ibs.inte.co.jp/tarareba_002/

人と人が顔を突き合わせて向き合うなら必ず交渉の余地があるだ。それを自ら放棄して機械になってはいけない。オイラが「社会人」だと思っていたのは人ではなくただの機械だった。


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自覚的に働く

働き方に関して、以前は身近な範囲でロールモデルとなる人を見つけようと思っていたけど、ここ数年でだいぶ考えが変わった。
ハッキリと「あの人みたいになりたい」と同じ道を辿ろうとしてもその人になれるわけじゃない。やや逆説的だが、その人は自分で道を切り開いてきたからこそその人になったはずで、その辿ってきた道はすでに過去のもの。今は師弟関係のように同じことを相伝するような時代でもない気がする。

1人の師にこだわる必要は無い。別に周りの色んな人に流されるのが悪いことだとは思わない。むしろ大きな流れは利用すべきだ。だが、今の自分がどの方向へ流されているのかは常に自覚的であるべきだ。
オイラに師匠はいないが、自分自身の変化に自覚的でありたい。「自覚的に働く」というのが最近の指針。(自己説明性みたいなもの?)

プライベートの時間

未だに時間を上手く使えていない気がする。ちょくちょく映画を観に行ったりはしてるけど。

生活リズム

睡眠のリズムが上手くコントロールできていなくて、なかなか寝付けなかったり、なかなか起きられなかったり。この辺りをもっとスムーズにするだけで1,2時間は捻出できそう。
仕事から帰って寝るだけの生活にしてしまえば気にならないレベルだけど、仕事に捧げる生活は虚しさが押し寄せてくるのだ。

ZBrushの練習

気づくとZBrushの作業も2,3週間空いていたりする。時間ってこんなに流れるの早かったっけ?



ZBrush作業に関しては、作業の記録に手間がかかり過ぎている気もする。無心で作業しながらつぶやくようにメモできるような仕組みが欲しい。スクリーンショットと同時に音声認識でtextも保存できたりすると便利かも。

抽象思考

最近、以前にも増して抽象思考の訓練が重要だと思い始めてるので、こうやって文字に起こす(抽象化)習慣は大事にしたい。
「要約する」と「抜粋する」は違うし、「抽象的なこと」と「曖昧なこと」も違う。
抽象の範囲内だけ、具体の範囲内だけでそれぞれ完結していてはダメで、自分の頭で具体→抽象、抽象→具体の思考プロセスを踏まないと頭の体操にならない。具体と抽象の世界が分断してしまうとその間を埋められなくなる。(ミッシングリンクみたいなものか?)


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