先月は仕事関係の振り返りを大幅に省略したので文量が少なかった。
参議院選挙
7月10日は参議院議員選挙投票日。選挙の度に毎回感じるが、誰に投票するか決めるのは労働並みにしんどくて、暮らしの片手間でやるには負荷が高過ぎる。正直、仕事のストレスだけで手一杯で政治とか景気のことにあまり気が回らない。
選挙広報を眺めてもピンとこない。「意見の比べ方」の知識をもっと持たないといけないんだと実感。どれが1番自分の意見に近いのか、あるいは今よりも自分の理想に近い日本に変えるために頼れる候補者はどれか。
元総理銃撃
選挙期間中に安倍晋三元総理大臣が銃撃されて亡くなったのはかなりショッキングなニュースだった。
当然、テレビのニュースはしばらくその話題で持ち切りだったので、気が滅入らないようにしばらくニュースを見ないで過ごした。
昨年から、単独犯によるテロ行為のような事件が頻発している。長く続いた抑圧が極端な行動に走らせるのだろうか。
今回の事件は、詰んだような境遇で必死に見つけた唯一の突破口に全人生をかけたかのようだった。
暴力を肯定するつもりはないけど、ピンポイントの暴力で世の中が変わり始めている。少なくとも1つタブーが崩れ、政治とカルトとの関係が報道されるようになった。後の歴史で「〇〇の変」と呼ばれそうな変化だ。
コロナ
東京の1日の新規感染者数がまた急に増えて、過去最高を更新した。オミクロン株のBA.5やらBA.2.75通称ケンタウロスやら、ウィルスはどんどん変異していく。
高齢者にはすでに4回目のワクチン接種が始まっているらしい。
会社でも比較的関わりのある身近な人達がコロナに感染して自宅療養し始めた。出社や出張の多い人達や、お子さんのいる家庭はどうしても感染リスクが高いようだ。
幸い、オイラはまだ感染せずに過ごしている。ボッチなのがプラスに働いている?
振り返り記事の労力
先月の振り返り記事では、仕事のストレスを書くのを後回しにしてとりあえず早めに投稿した。後から仕事のストレスについて整理して追記するつもりだったけど、結局追記すること無く1ヶ月経過してしまった。
振り返り記事の負荷から解放されると身軽になって色々な記事を投稿できた。でもやはり未整理のモヤモヤが溜まって気持ち的には消化不良だった。
逆に言うと、ここ1年ぐらいの振り返り記事はかなりの負荷をかけていただけあって、ストレスをしっかり言語化できている。仕事のストレスを自分の中でちゃんと消化できるまで言語化するには1ヶ月フルに使うぐらいの負荷がかかるのだ。
振り返りにはきちんと向き合いつつ、作業負荷だけは軽くなるようなプロセスを探っていこう。自分の体験を事象として観察して構造を抽出するのだ。
振り返り記事をまとめるプロセス
先月からさらにプロセスを洗練させた。iPhoneのメモに1日単位で書いた記録を1日区切りで1ヶ月分Markdownに転記するところまでは同じ。
これまで振り返り記事を書いてきた経験から、1ヶ月分の記録の文量が多過ぎて見渡しづらいのが手間のかかる理由の1つだと思うようになった。プログラミングと同じだ。
そこで、1ヶ月分の記録を転記したMarkdownファイルを、さらに月~日曜日の1週間単位で1つのMarkdownファイルに分割して作業することにした。プログラミングと同じように文脈ごとに抽象化してまとめ、小さい単位に分割するのだ。
7日間フルにある週だと、1週間分の記録は4800~5700字程度の文量。当然ながら、土日に書く量は少ない。1週間ごとに別ファイルになったMarkdownファイル内で話題をクラスタリングする。1つのファイルに5000字程度なら全体像も見渡せる。
オイラがiPhoneのメモに書く記録は散文に見えて、意外と時系列で文脈が緩やかに繋がっていると分かった。時系列で分割するのはかなり有効だ。1週間ごとに分けられるなら、負荷が月末だけに集中せず分散できそうだ。
1週間ごとのファイル内である程度クラスタリングが完了したら、振り返り記事の各章ごとのMarkdownファイルに書き写して整理していく。
振り返り記事の基本構成は以下のようなもの↓
「仕事」章は文量が1番多く、章内の構成(節?)も毎月変わってしまうので悩みどころ。「生活」章は文量が少なくて楽にまとめられる。
と、ここまでが「導入」章だったわけです。
仕事
7月の前半に2回ほど出社した。
飲み会
7月上旬に、昨年10月から今年5月までリーダーを務めた業務の打ち上げに参加した。
かなり前から予定していた飲み会なので、感染者数がまた増え始めたこのタイミングにぶつかるとは予想外だった。参加者はとても少なく、関係者の3分の2は欠席(笑)
リモート越しにお世話になりながらもずっと顔すら知らなかった人達に対面することはできた。
会社の昔話を聞くことができた。
情報を得たいと思う反面、実は会話に輪の中に入って参加するのはちょっとストレス。ただ傍観して観察する側でいたいと感じるのは、本質的に飲み会あるいはコミュニティに馴染んでいないということだろうか。
終電ギリギリまで飲み会に参加したのは久しぶりだ。昔の感覚だと大した量は飲んでいないはずなのに酔っぱらった。アルコールに弱くなったのかな?
飲み会に参加するのは今の会社に入社後直後の小規模な飲み会以来だ。1年半ぶりか。
状況認識
今の会社に入社して1年半も経つので、自分の置かれている状況をだいぶ認識できるようになった。
入社直後に感じていた緊張が今はほとんどない。
入社直後は、自分のスキルがこの会社の要求水準について行けるか不安だった。入社直後から密に関わっていた同僚の開発スキルがとても高く、このレベルを当たり前の会社なのかとかなりビビっていた。
だが、会社の他の人達と接する機会が増え、同レベルの人は他にいないと分かった。1人がずば抜けて優秀なだけなのだ。むしろ平均で見ると前の会社よりも社員のレベルは低い気がしてきた。
この会社で成長できるか?
自分と同年代(つまり会社員経験の長さが同程度)の同僚が、仕事上の基本的なコミュニケーションすらままならない姿を見て、この会社に長くいても成長できない気がしてきた。学ぶ機会を得にくい環境かもしれない。
今の会社は割と「成果主義」だ。(働いている当人達は「実力主義」と思っているようだが) 成果を上げた者が新たな経験の機会を得やすくなる。より大きな仕事を任されるかどうかは過去の実績がものを言う。
前いた会社は年功序列だったが、今の会社と比較して年功序列のメリットを感じるようになった。年齢(入社年次)の変化に合わせて経験の機会を得られるのだ。もちろん年功序列の中でも徐々に過去の実績が重視されてはいくものの、少なくともキャリアの初期において得られる学びの機会は平等だ。結果として、社員の平均レベルが比較的高くなる。
年功序列は、年齢(在籍期間)に比例して仕事での影響力が大きくなる想定で長期の教育計画を立てやすく、教育体制も整うのだろう。そもそも日本の教育制度は時間(つまり年齢)を基準に構築されている。平均レベルを高めるメリットがある仕組みなのだ。
この会社で流れに任せて働いていても成長できないだろうし、自分がどうなりたいのかハッキリ自覚して、これから経験したいことを選ばないとまずい。
この1年半で何か成長しただろうか。オイラ自身は自分の成長をどうやって実感しているのだろうか。仕事を拒否せず引き受けてきたことで得られた経験はあるし、身についたスキルもあるものの。
雑談のストレス
最近、同僚からリモート雑談のお誘いが多い。
ほとんど在宅勤務で出社することがないので、リモートで雑談の機会を作ってもらえることを以前は有難く思っていたが、最近はちょっとストレス。雑談のお誘い頻度が増え、仕事に集中できなくなってしまった。
複数人で雑談する分には情報交換もできるので有益なのだが、1対1は結構苦痛だ。曰く「腹を割って話したい」と。雑談に誘ってくる人がコミュニケーション負荷を他人に負担させるタイプだから苦痛に感じるのだろうか。
仕事の愚痴を言えるチャンネルができたのは良いことなのだが、聴く負荷が高くて娯楽にも消化されない愚痴を聴くのはしんどい。他人を一方的に強く非難する言説に触れるだけでちょっとストレスなのかも。愚痴の大半は上長を非難する話だが、オイラから見ると「あなたも同じですよ」と思えることも多く、他責過ぎる姿勢にツッコミたくなる。上長と違うのは権力の有無だけで、スキル不足の程度は同じ。
飲み会でも感じたが、会話に参加すると無条件の同調を要求されがちだ。同意できないが争う気もないので聞き流したいところなのだが、それでは「腹を割って話した」と感じてもらえない。
雑談したがる人はやたらと個別にダイレクトメッセージを送って誘ってくるので、追い立てられているような気分にもなる。こういうのを「人間関係のストレス」と呼ぶのだろうか。
仲間を作るスキル 情報を伝えるスキル
すぐ誰かに声をかける「仲間を作るスキル」が高い人は結果として「情報を伝えるスキル」が未熟なままになりがちだと分かってきた。仲間を増やすことで情報伝達の負荷を他人に負担してもらえるのだ。そして、会社組織には必ず「仲間を作るスキル」の高い人がいる。そうやって集団が形成されたのだから。
部署の働きづらさ
雑談で他の人達の状況を知るほどに、今の部署の酷さを実感する。これも学ぶ機会が乏しい人達が仕切っている故だろうか。
下っ端がわざわざ個別の雑談チャンネルを沢山立ち上げてるところからして情報の透明性はかなり低いし、心理的安全性も低い。こんなに面倒な立ち回り方が必要になるなら、いっそ居場所を変えてしまいたい。
リモート仕事で人を繋ぎ止めるのはやはり人望だろうか。「人柄」の影響が大きくなるほど密に接する働き方が問題な気もする。
時間同期の働き方
「仲間を作るスキル」にも関連するが、仕事でのチームワークは集団を形成することが重視され過ぎて、仕事の依存関係が整理されないままになりがちだ。
仕事の依存関係が整理分解されないまま集団でこなそうとすると、時間同期で密なコミュニケーションが必要になる。個人的にこれを「スポーツ的な働き方」と呼んでいる。リモート化で仕事が進めづらくなったという声が多く上がるのも、時間同期で密にコミュニケーションをとる前提があるからだろう。
急かされると、依存関係を丁寧に整理するよりも、集団の勢いでスポーツ的にこなしてしまった方が対応しやすいのは分かる。オイラ自身も、アウトプットを急かされた時はとりあえず関係者全員を会議に召集した(笑) 依存関係を解きほぐすよりも全員のスケジュールを押さえる方が優先になってしまう。
時間同期の働き方が前提だと、たとえフレックス勤務や休暇取得が会社の制度として許可されていても、各々が働く時間をズラすとチーム全体の能率が下がってしまう。
時間同期が日本特有の働き方なのか世界共通なのかは分からないが、日本人が休みづらい理由はこの働き方にあると感じる。みんなが一斉に休む分には問題無いので、全員同じ時期に夏休みになったり、国民の祝日が多いのも働き方に起因しているように思える。
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コミュニケーションスタイルのギャップ
前の会社にいた頃からずっと感じていた違和感がある。職種や役職によって、志向するコミュニケーションスタイルが違うのだ。
それぞれの役割のアウトプット形態が影響しているのか、もともと当人得意が得意とするアウトプット形態に適した役割に落ち着くからなのか。どちらが先なのかは分からない。
- 作ってからコミュニケーションを始める
- コミュニケーションを経てから作る(作らせる)
オイラは作ってからコミュニケーションを始めたいところだが、仕事では大抵後者の進め方になる。
作った物でコミュニケーションするのが理想だが、会社組織において作る時間・予算はある程度目的を定めた上で承認されないと確保できないものだ。何も無い状態でコミュニケーションを重ねることになる。
これはプロダクトアウトとマーケットインの違いなのだろうか。
得意なアウトプット手段の違いから、考えるプロセスも違ってくる。
- 作りながら考える
- 話ながら考える
どちらの場合も、お互いに欲しいのは思考過程ではなく結論なのだが、どちらも自分のアイディアに価値があると信じていることに変わりはない。
どちらかというとオイラは「作りながら考えるタイプ」だ。
作った物でコミュニケーションするタイプの人が、自分では何も作らず、作らせる立場になると悲劇だ。
作る人と作らない人の時間感覚の溝は深い。
専門性
技術系の仕事の専門性は多くの場合、特定のプロセスに固定されがちだ。
特定のツールやプログラミング言語・ライブラリに精通すると、特定のプロセスを担う道具扱いされやすい。
オイラは個人的にプロセスよりもドメイン(分野)に専門性を発揮したいのかもしれない。ツールやライブラリはその都度習得すれば良いという考え方。ドメイン知識があれば習得は比較的容易。
プロセスで人員が分かれていると、ドメイン全体の課題を捉えにくくなる。
生活
生活リズムが狂ってきた。
在宅勤務になってから、通勤が無い分睡眠時間を長く取れるようになったはずが、最近は就寝時間がどんどん遅くなっている。夜2時過ぎまで起きてるのが当たり前みたいな生活リズムになった。在宅勤務が前提だからできる夜ふかし。
ただ就寝時間が遅くなっただけでなく、睡眠の質が悪くなった気がする。
昼間も眠気が抜けず、仕事終わりや夕食後に寝落ちして、夜中の変な時間に目覚めて朝方まで寝つけない。睡眠がおかしくなったことで先月にも増してお風呂に入らない日が増えた。
結果的に食事や入浴を省略しちゃう割に、その分の時間で何か生産的な活動しているわけでもなく、ただダラダラと時間を浪費している。健全とは言えない生活だ。
平日だけでなく、休みの日も上手く過ごせていないように感じる。そもそも、そんなに長く活動する体力が無いのだろうか。運動不足で体力が落ちたのか、疲れやすくなった気もする。ウォーキングすらほとんどしなくなった。ちょっと出歩いただけで右足首を痛めた。
健康診断の結果
先月受けた健康診断の結果が返ってきた。オイラはLDLコレステロールが基準値を超えているらしく、二次検査を勧められた。加齢もあるだろうけど、コロナ禍で生活習慣が変わってしまった影響が大きい気がする。
生活を改めたい。時間の使い方を見直したい。1人になる時間、身体を動かす時間、仕事とは違うコミュニティに触れる時間。仕事に費やす時間を減らさないとメンタルも保てない。
今の暮らしでギリギリなので、ここで何かインフラが破綻したら暮らせなくなる。コロナ禍初期もそういうストレスがあったな。
右太ももの痛み
以前、右膝というか太ももに突然ピキッと痛みが走る症状が続き、いつの間にか治まっていたのだが、
同じ症状がまた復活し始めた。症状が再現する条件が分からない。痛む位置が中学生の頃にハードル走の練習で怪我した箇所と一致するが、まさかその怪我の後遺症なのか?
身体の他の箇所でも似た痛みの予兆みたいなのを感じることも。
暑さ対策
本格的に夏の気温になったので、家の冷房は24時間つけっぱなし。エアコンを小まめに切るのは逆に電力の無駄が多いと聞いたので、外出時もエアコンを消さずにずっと稼働させている。
ここ数年でペルチェ素子を使った暑さ対策グッズが割と一般的になってきた。
今年になってまた新たにペルチェ素子を使ったガジェットを買ってみた↓
のだが、結局外出時はポータブルの扇風機が1番即効性がある。。。オイラが汗っかきなのもある。
外気温が30℃を超える中ではたぶんマスクも外した方が良いんだろうけど、人口密集地では躊躇する。
電気シェーバー
ずっと使っている電気シェーバーが一部壊れてきた。もう10年ぐらい使い続けているか?
刃は1度変えた記憶があるけど、もう本体も流石に寿命だろうか。新しいのを買おうかどうしようか。
娯楽
「シン・ウルトラマン」の33話「禁じられた言葉」と39話「さらばウルトラマン」の同時上映に釣られてもう2回観に行ってしまった。これで「シン・ウルトラマン」を鑑賞した回数は7回になった。
「シン・ウルトラマン」本編のエンディングに入ってすぐ席を立つ集団もいたので、同時上映を目当てに観に来た人はそれほど多くないのかもしれない。
「シン・ウルトラマン」に続編があるとすれば、次の世代の人類の時代になってそうだと想像を巡らせる。
思えば、映画を観に行く本数は増えても、鑑賞した映画の感想をブログにしたためることが少なくなった。コンテンツ1つ1つに割く時間が少なくなっている。コンテンツを大量消費している。
映画館での鑑賞以外に視聴しているコンテンツの総時間はどれぐらいだろうか。
毎週定期的に視聴しているのは以下のテレビ番組↓
- ウルトラマンデッカー
- ニチアサ
- 仮面ライダー
- スーパー戦隊
- 大河ドラマ
それに加えて、動画配信サービスで見つけたコンテンツをちょいちょい視聴している。
最近はDisney+で配信が始まったILMのドキュメンタリーや
https://www.disneyplus.com/ja-jp/series/light-magic/3OtlwhtW6Z7E
アニメ「異世界おじさん」を視聴している。
目的もなくダラダラとTikTokを眺める時間もかなり増えた。テレビ番組以外、動画コンテンツははほとんどスマホで視聴している。
昔に比べるとテレビを見る頻度がだいぶ減った。見るとしても録画が多いので、CMソングを聴く機会がかなり減った気がする。番組主題歌についても、配信で視聴するとオープニングとエンディングを手軽にスキップできるので主題歌を聴く機会が減っている。劇伴や挿入歌の方が耳に残る。
最近耳に残っている歌はTikTokのBGMで使われているものばかりで、数十秒のフレーズだけだ。
そういえば、ここ最近はAmazonをECサイトとして利用することがほとんどなくなり、もっぱら動画コンテンツプラットフォームとして利用している。通販としてはヨドバシカメラの方が安心できる。
趣味
10年前に買ったMacbook Airをこれまでずっと使い続けきたけど、最新のMac OSがサポート外になってiOSアプリ開発に利用できなくなっていたので、新発売のM2 Macbook Airを購入した。
これでまたiOSの最新機能を利用したARアプリ遊びができる。
CG
MetaHuman Creatorを触ってみた。
模型もCGも、作るのが遅い。作ってみたいものはどんどん溜まっていくのに、時間と体力が足りない。
趣味を中心に生きるなら仕事は定型化していた方が有り難い。定型化されてない業務を扱うなら、自分の趣味趣向に近い仕事を選びたい。人生の残り時間をどう使うか。
今回の夏のワンフェスはチケットすら買わなかった。
作家活動
2022年もとっくに後半戦なのに、アウトプットが思うようにできていない。インプット面でも全然勉強していない不安がある。自分のメンタルケアになる行動が創作に繋がるのが理想なのだが。
今年中に何か作家活動のアウトプットをしたかったけど、もう少しゴールを具体的にしないとダメかも。1ヶ月以内にできるアウトプットものを8月の目標にしようかな。
クリエイティブコーティングとかも少しずつやっていきたいし。やりたいことだけがどんどん発散していく。
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